これは近年まれにみる怖いホームドラマ。
「空中庭園」(2005日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 東京郊外の団地に住む京橋家には秘密を持たないというルールがあった。それは母・絵里子 が理想の家庭を築くために決めたルールである。だが、彼女の思いとは裏腹に、実際は夫々に秘密を抱えていた。夫・貴史 は不倫にのめり込み、高校生の娘マナは学校をさぼってクラスメイトとラブホテルに入り、息子コウも学校をさぼって町をブラついていた。そして、実は絵里子自身にもある秘密があった。そんなワケあり家族の中に、貴史の浮気相手ミーナがコウの家庭教師としてやって来る。
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(レビュー) ある中流家庭に起こる様々な出来事をシリアスに綴ったホームドラマ。角田光代の同名原作を俊英・豊田利晃監督が映像化した作品である。
映画は家族の朝食風景から始まる。大変爽やかな一幕だが、そこに突然ラブホテルの話題が持ち上がって驚かされた。しかも、皆平然とした表情で会話しているのだ。一体この家族はどういう家族なのか?不思議に思った。
そして、映画を見ていくと段々この家族の正体が分かってくる。彼らは何事においてもオープン方式で、それによって互いの信頼関係を保とうとしているのだ。だから、ラブホテルの話でも平然と話していられる。
しかし、理想的と思える仲の良い家族は徐々に崩壊していく。本当は皆、家族に真実を打ち明けられない秘密を持っていたのである。皆が仮面を被って家族を演じていたのである。この不安定さ、不穏さは大変恐ろしい。ある意味でホラー映画並みの怖さを持ったホームドラマと言えよう。
家族の中心にいるのは今作の主人公・絵里子である。彼女は常に朗らかな表情を絶やさず理想の主婦を演じている。彼女の信条は秘密を持たないことでそれを家族全員にも守らせている。しかし、それは建前でしかなく、彼女自身、過去に秘密を持っており、他の家族も夫々に不倫、淫行に走っている。
家族の誰もが秘密を持たないで暮らしていけたら、それはとても素晴らしいことだと思う。しかし、それは理想でしかないと思う。夫々に学校や会社でプライベートな時間があるのだから、実際には秘密を持たないことなど不可能であろう。絵里子の理想はよく分かる。しかし、人間である以上、必ず秘密は抱えてしまうものなのである。
映画は家族が抱える秘密のベールを一枚一枚剥いで見せながら、彼らの真実の姿を暴いていく。とりわけ、キーパーソン、ミーナが現れて以降、それは加速していく。それまで保たれていた家族の建前の"和″が急激に崩れ始め、夫々の秘密が一気に暴露されていくのだ。そのクライマックスシーン、一家そろっての誕生会のシーンは実に見応えがあった。息苦しく、緊迫感に溢れ、戦慄的である。
そして、それを終えてのラスト。ここも印象深かった。何とも煮え切らないラストであるが、家族の在り方を真摯に問うているように思った。安易に答えを導き出さなかった所も納得できる。
一方で、本作は割とコメディライクに作られている箇所もある。全体的にはシリアスなドラマなのだが、ちょっとした息抜き場面が各所に登場してくる。
例えば、貴史のだらしない造形はその極みと言えよう。愛人に謙る言動、絵里子と5年も一緒に寝てもらえない不憫な境遇など、情けない現代のオッサン像が見事に体現されている。絵里子の母・さと子も持病を感じさせない楽天的思考の持ち主で、要所でユーモラスな場面を創造している。マナと付き合うナンパ男は体にバビロンの空中庭園の刺青を施し、完全にイタタ‥な中二病患者で苦笑してしまった。
こうしたコメディトーンは全体の深刻さを和らげ、作品全体の見やすさに繋がっている。このバランスは絶妙だと思った。
豊田監督の演出は概ね堅実に整えられているが、中にはかなりラジカルなものも見られる。まず、浮遊感を漂わせた360度回転するカメラワークに度肝を抜かされた。冒頭のタイトルシーンと絵里子の回想シーンでこの奇抜な演出が登場する。アンビバレントな絵里子の心象を表現したものであろう。中々面白いと思った。
また、絵里子がパート仲間にフォークを突き刺す妄想も、豊田流暴力描写と言っていいだろう。終盤の血の雨も、同監督作「PORNOSTAR ポルノスター」(1998日)のナイフの雨を彷彿とさせる刺激的な演出で印象に残った。
一方、これまでの豊田作品には余り見られなかった長回しが要所に登場してくるのは中々新鮮だった。例えば、これによってクライマックスの誕生会のシーンには息詰まるようなスリリングさ、緊張感が感じられた。このチャレンジ精神も買いたい。
キャストは個性派俳優で占められている。ただし、絵里子を演じた小泉今日子だけは今一つだった。主婦の倦怠を微妙なニュアンスで表現した所は良いが、果たしてこの役に合っていたかどうか‥。絵里子は家族をまとめる、言わば家長のように存在しなければならない。しかしながら、彼女の朗らかな外面が内面の強さを相殺してしまった感がある。ここは芯の強さを隠し持った女優の方が良かったのではないだろうか。特に、内面を爆発させる後半の力演は背伸びしているように見えてしまい、余り乗り切れなかった。
尚、余談だが、舞台となる巨大団地に着目すれば、このドラマから地域格差の実態のようなものが見えてきて面白い。京橋家が住む街は都心近くのニュータウンである。ところが、不況の煽りで都市計画が途中でとん挫し、閑散としたゴースタウンと化してしまう。これは家族の崩壊と共に進行していくので、当然狙いなのだろう。実際に現実社会でもこのようなニュータウンが存在していることを考えると、かなりのリアリティが感じられた。羽仁進監督の
「彼女と彼」(1963日)同様、ドラマ内リアリティーを支える恰好の舞台である。