実際の事件を描いた社会派サスペンスドラマ。
「黒い潮」(1954日)
ジャンル社会派・ジャンルサスペンス
(あらすじ) ある夜、国鉄総裁・秋山の轢死体が発見される。毎朝新聞の記者・速水は現場に駆け付けた。当時は労働運動が盛んな頃で、秋山は先頃断行した大量リストラの恨みから殺されたのではないかと噂された。新聞各紙は他殺説を大々的に報じ、この事件は人々の注目を集めた。しかし、速水は根拠のない想像を報じるのははおかしいとして、上層部の反対を押し切って他殺説を控えた紙面作りを構成する。これによって新聞の売れ行きは落ち、彼は窮地に立たされてしまう。
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(レビュー) 1949年に起こった「下山事件」を元にした井上靖の同名小説を、俳優として活躍する山村聰が監督・主演を務めた社会派作品。
尚、下山事件はいまだに謎に包まれた事件である。主人公・速水は自殺説を唱えており、映画冒頭で秋山が列車に飛び込むシーンが登場するが、これはあくまで映画作りとしてのスタンスである。実際には自殺or他殺は謎のままである。
ちなみに、松本清張はこの事件を元に「日本の黒い霧」という小説を書いている。そちらは他殺説というスタンスがとられているそうだ(未読)。いずれにせよ、今となっては真相は闇の中である。
映画はストイックなモノクロ映像が重厚な雰囲気を漂わせるが、黒澤組の脚本家・菊島隆三の流麗な話運び、速水を含めた登場人物達のやり取りがハイテンションに展開され、見る者をグイグイと引き付ける力強い娯楽作に仕上がっている。
速水は正義感の強い真面目な男で、今回の事件に全精力を傾けていく。世間の多くが他殺説を唱える中、彼は性急に結論付けず、中立的な立場を貫いていく。普通なら新聞を一部でも多く売るために、他社と同じように他殺説という見出しで引き付けようとするだろうが、彼はそうしないのだ。その姿にジャーナリストとしての魂を見てしまう。
果たして、今の世の中に彼ほど客観的な視点で記事を書ける記者はどれだけいるだろうか?多くは会社にスポイルされてしまうか、不利益をもたらす厄介者として放り出されるのかのどちらかだろう。
時として人間は不都合な真実から目を逸らしたくなる生きものである。見ないで済むのならその方が楽だからである。しかし、速水はそうしなかった。どこまでも真実を追求しようとするのである。その姿は正にジャーナリストの鏡である。
速水のプライベートのドラマも中々面白く見ることが出来た。
実は、彼は過去に深い傷を持っている。仕事しか頭にない彼は妻を構ってやれず、彼女を死に追いやってしまったのだ。しかも、不倫相手の男と溺死体で発見された。警察は心中として片づけたが、速水にはどうしてもそれを受け入れることができなかった。妻は何故死んだのか?その理由を彼は今でも探し続けているのである。
このトラウマは秋山事件に対する彼の執念に大いに関係しているように思う。どちらも真実を見るまでは結論付けたくない、という思いがひしひしとこちら側に迫ってきた。実に重層的なドラマで見応えが感じられた。
新聞社内には様々な個性的な記者達が揃っている。こちらも今作の一つの見所である。特に、速水を全面的にサポートする山名部長という上司がいる。今回の速水の活躍は彼の助力無くしてありえなかっただろう。彼は物語のキーマンであり、部下に寄せる情愛には味わいが感じられた。
他にも、情報を足で稼ぐ記者達、編集部のマスコット的存在・事務員の節子といったサブキャラも夫々の良い役割を果たしていた。今作は基本的にはサスペンスドラマだが、一方で彼ら記者達の友情ドラマ的な側面もある。例えば、事件を取り巻く環境に一喜一憂し編集部でビールを飲み交わすシーンには、まるで青春ドラマさながらの微笑ましさがあった。また、ラストの送別会のシーンには何とも言えぬ哀愁が感じられた。しみじみとくる。
尚、この時に一人の記者が発したセリフが印象に残った。
「真実でうずまれた新聞なんてあると思うか?10年も記者をやってみろ!自分なんてものはみんな消えちまうわな!」
これは彼の本音だろう。そして、確かに現実はこうなのだと思う。何ともやりきれない思いにさせられるが、映画はこの現実を鋭く提示している。
活気に満ちた編集部の風景を微細に再現した美術監督・木村威夫の働きぶりも素晴らしかった。画面の隅まで手を抜かない山村聰の演出もさることながら、奥行きを感じさせる映像は木村の美術あればこそだろう。
ちなみに、劇中の季節は夏真っ盛りである。密閉された編集部のうだるような暑さは、記者達の熱気も相まって何倍にも暑く感じられた。皆が手拭いで汗をぬぐい団扇で仰いで仕事に専念している。その暑さを少しでも和らげるためか、編集部のど真ん中には大きなカキ氷が置かれている。皆がそれに触って暑さを凌ごうとするのだが、その光景の何とユーモラスなことか‥。こうした新聞社内のユーモア溢れるやり取りも、本作を娯楽作足らしめている魅力の一つである。