老人パワーが炸裂しまくったシニカル・コメディ。
「近頃なぜかチャールストン」(1981日)
ジャンルコメディ
(あらすじ) 大富豪・小此木家の次男、次郎は婦女暴行未遂の罪で留置所に入れられた。そこには国会議事堂で無銭飲食を働いた奇妙な老人集団がいた。彼らは夫々に自分たちのことを独立国家ヤマタイ国の大臣だと言った。翌日、彼らは釈放され、次郎もお手伝いタミ子の証言で解放された。ヤマタイ国に興味を持った次郎は彼らの後をつけるのだが‥。一方その頃、小此木家では父・宗親の失踪で騒然となっていた。妻は親交のある寺尾市会議員に相談し、宗親の捜索が始まる。その捜索を特別に任された大作刑事は、ヤマタイ国の存在を突き止め、彼らが住んでいる土地が小此木家の土地であることを知り、失踪事件に関与していると睨むのだが‥。
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(レビュー) 不良老人と不良少年が巻き起こすドタバタ騒動をシニカルなユーモアで綴ったコメディ作。
国家権力に反旗を翻す老人たちの抵抗がラジカルに描かれている。製作・監督・脚本を担当した岡本喜八の作家性がよく出た作品だと思った。タイトルが2回登場するという遊び心を含め、人を食った実験精神溢れる作りも意欲的である。
ちにみに、タイトルのチャールストンとは、戦後日本で流行したダンス・ミュージックということである(自分は知らなかった)。不良老人たちは、この陽気なリズムに耳を傾けながら日本の再興を眺めてきた人達である。つまり、この音楽は彼らにとっての思い出の曲なのである。
日本は高度経済成長を経て経済的に豊かな国になった。しかし、彼ら、ヤマタイ国の老人たちはこれに反意を唱える。政治は腐敗し、皆が日本人の魂を失ってしまった‥。果たしてこれが本当の意味での幸せと言えるのか‥と。こうして彼らは日本から独立してヤマタイ国、つまり民家に籠って自分たちの国家を名乗ったのである。
正直に言って、彼らのやっていることは反社会的な行為であり、とても正気の沙汰とは思えない。仕事を持たない彼らは収入が無いので、ギャンブルや盗みで食いつないでいる。映画後半では電気、ガス、水道を止められ、とうとう誘拐、恐喝、強盗、人殺しまでやってしまう。
彼らにシンパシーを覚えて行動を共にする不良少年・次郎もただのボンクラである。大富豪のボンボンなので罪を起こしても示談金は親が払ってくれるし、仕事もしなくてもいい。言うことだけは一人前だが、こう生きたいという信念を持たない甘えた若者である。
しかし、自分は彼らの反社会的な行為の数々に不思議と嫌悪感を抱かなかった。映画の作りがコメディ寄りになっているおかげもあるのだが、彼らの活き活きとした姿を見ていると何だか羨ましくなってしまった。生きる喜びとでも言おうか‥。老いて果てようとする老人たちがとても輝いて見えた。
それに、彼らの言っていることは決して間違ってはいないように思う。我々は日々の暮らしの中で、果たしてどれほど幸せの本質や、自分らしさというアイデンティティについて考えているだろうか‥?経済的な享受に騙されて心の豊かさを失っているのではないだろうか‥?死んだときに幸せな一生だったと思えるような人生を送っているだろうか‥?そういった疑問を、我が身を振り返って感じてしまう。
ヤマタイ国の老人たちは経済的には極貧である。しかし、仲間と賑やかに共同生活を送りながら、時に悪さをしながら活気のある暮らしを送っている。きっと死んだときには仲間に見守れながら幸せな顔であの世に行けるだろう。もしかしたら、人生にとって最上の幸せとはこういうことなのかもしれない‥。ふとそんなことを思った。
ただし、彼らの自国愛の精神を鑑みると、アメリカで発祥したチャールストンにノリノリになるのは、流石にどうだろう‥。そもそも、こんな日本にしたのは戦勝国アメリカなんだぜ‥という突っ込みは入れたくなってしまったが‥。
岡本喜八の演出・構成は実に軽快でテンポよくまとめられている。警察署内のスピーディーな会話、留置所での老人たちと次郎のやり取りなど、夫々のキャラの個性を引き出しながら上手く組み立てられていると思った。
また、もはや狂騒とも言うべきクライマックスにおける歯切れの良い演出もたまらない。活劇の写真屋・喜八の真骨頂であろう。
ただ、一方で大仰過ぎる場面もあり、一部のギャグに寒さを覚えたのは事実である。例えば、謎のスナイパーが次郎の命を狙って何度も登場してくるが、彼は毎回銃弾を外す。1,2度ならまだしも、こうも繰り返されると流石にあざとく見えてしまい白ける。若手刑事を演じた本田博太郎のオーバーアクトも確かにこの人らしいが、ここまでクドい演技が続くと鬱陶しいだけである。
尚、一番好きなシーンは、大蔵大臣とタミ子がお尻を触りながら台所の仕事をしている場面である。ちょっとしたエロとちょっとしたユーモア。この演出は今作随一であった。