ドラマと事件が余り相関してない所が苦しい。
「パレード」(2010日)
ジャンルサスペンス・ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 大学生の良介、人気若手俳優と付き合っている琴美、イラストレーターの未来、映画配給会社に勤めている直輝、彼らはマンションをルームシェアしている。そこにある日突然、見ず知らずの青年サトルがやって来た。彼は未来が酔っ払って連れてきた男だった。最初は戸惑う一同だったが、人懐っこいサトルに次第に打ち解けていく。その頃、巷では連続通り魔殺人事件が起こっていた。未来は彼が犯人ではないかと怪しむのだが‥。
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(レビュー) 若者たちの閉塞的な日常をビビッドに綴った青春群像サスペンス。
「さよなら渓谷」(2013日)の吉田修一の同名小説を行定勲が映画化した作品。
今作に登場する個性的な4人の男女は、それぞれに特別な問題を抱えている。その問題克服が今作のドラマの一つの見所となっている。
良介は友人の事故死にショックを受けながら、憧れの女性に告白できずにいる。琴美は新人俳優の恋人と疎遠で不安になっている。未来は過去のトラウマを引きずってアルコールに溺れている。一つ一つのドラマは大変ミニマムに展開されているが、それだけに身辺の物として興味深く見ることが出来た。
ただ、彼らのドラマが今作のもう一つの見所である連続殺人事件に上手く絡み合っているか‥と言われると正直今一つである。
第一に、本作は4人の視点で紡がれる群像劇構成になっていて、これがドラマを散漫にしてしまっている。最後は直輝のパートによって連続殺人事件のオチが付けられるのだが、そこに至るまでの構成が回りくどい。一番重要なのは直輝のパートにあるのだから、ここを軸に描けばもっとすっきりとした映画になったのではないだろうか。
そもそも、群像劇とは各エピソードが絶妙に絡み合って初めてカタルシスが得られるものである。しかし、本作は全てがバラバラで全体のドラマとしての求心力が乏しい。結果として、どれも中途半端で無味乾燥なものに感じられてしまった。
中でも一番不要に思ったのは、良助と琴美が追求する隣室の秘密である。これは二人の葛藤にも連続殺人事件にも何も関係ないエピソードである。一体、何のために出てきたのか?原作にあるのだとしたら、何故これを映画に抽出したのか?
逆に、もっと時間を割いて描いて欲しいエピソードもあった。良助にとって友人の事故死がどれほど重い意味を持っていたのか?そこがよく分からない。確かにセリフではそれらしいことを語っていたが、たかだか1シーンの合間に挟まるセリフではまるで取ってつけたようである。もっと丁寧に描いて彼の葛藤を掘り下げるべきではなかったのだろうか。
このように4人の葛藤は、それ単体で見れば中々面白く追いかけていくことが出来るのだが、こと事件との関わり合いで言うとあっても無くてもいいような‥そんな位置づけになっている。
1本の作品として見た場合、この二つが上手く噛み合ってないのが残念だった。
行定勲の演出は基本的には静謐さにこだわった演出で安定感がある。ただ、これも所々で違和感を覚える個所が幾つかあった。
例えば、裁判ごっこのシーンは正にわざとらしい"ごっこ遊び″で、見ていて白けるばかりであった。全体がリアリズムに寄ったトーンであることを考えても、ここはそれとは乖離してしまっている。直輝と常連の店の店主とのやり取りに出てくる"あるセリフ”も突然なものに思えてしまい興が削がれた。
彼の作品を全て見ているわけではないので、これが彼の作家としての特徴というのは中々言えないが、今回はシーンによって随分と演出にムラがあったのが気になった。
一方で映像の作りに関しては中々良いものが見られた。特に照明を効果的に使った色彩設計は見事で、シーンに独特の緊迫感と陶酔感をもたらしている。元々、行定監督はこうした陶酔的なトーンを得意としていて、初期時代の「閉じる日」(2000日)などは色々と賛否があるかもしれないが、彼の映像感性が炸裂した怪作だと思う。雰囲気に酔いすぎと言われれば確かにそうかもしれないが、今回は初期時代よりも幾分抑制されており、映像に関しては全般的に見応えが感じられた。
また、原作からの流用なのか、「マルチバース」「モンスター」といった含蓄のある言葉遊びも中々面白く探究できた。おそらく人間の居住空間を指しての「マルチバース」、そこに流れる怠惰な空気感を指しての「モンスター」なのだろう。言葉遊びとはかくあるべしで、単純に説明しない所が面白い。
また、この4人には明らかに社会の縮図が投影されており、そこも非常に現代的で面白いと思った。彼らが共同生活を始めたきっかけは映画を見てもよく分からないが、おそらく夫々の孤独がこの場所を求めたのだと思う。しかし、彼らは一緒に住んでいながら自分の殻を決して壊そうとしない。互いの生活の奥深くまで入ろうとせず、まるで傷つけ合うことを恐れているかのようにさえ見える。この微妙な距離感はいかにも現代的と言える。そして、おそらく途中からやってきたサトルも、この近すぎず遠すぎずの距離感が心地よくてこの空間に溶け込んだのだと思う。ある種ドライとも言える彼らの関係性は、今の時代ならではのものと言える。
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今回は特に問題は見受けられませんでした。
また立ち寄らせていただきます。
秋田アンサーです。
今回、コメントさせていただきます。
また見せていただきます。
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