いかにも70年代カウンター映画な1本。
「赤い鳥逃げた?」(1973日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) チンピラ青年・宏は弟分の卓郎と日和見な生活を送っていた。ある日、宏は会社社長の依頼で妻の不倫現場を押さえる。ところが、報酬を貰おうとする段階で社長が金を出し渋ったことからトラブルになり、宏たちは警察に追われる身となってしまう。二人は暫くの間、卓郎の恋人・マコの部屋に転がり込むことにした。マコは、資産家の令嬢の友人・京子に代わってこの部屋に住んでいた。同居するうちにマコは次第に宏に惹かれていくようになる。その後、宏は会社社長の入院先を突き止めて乗り込んでいった。しかし、彼はそこで待ち構えていた警察に捕まってしまう。一方、卓郎も街中でヤクザに絡まれて怪我をしてしまう。
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(レビュー) チンピラ青年達の刹那的な生き様をエッジの効いた演出で描いた青春ドラマ。
ここで描かれる宏たちの社会や権力に対する反発は、いかにも70年代の若者たちの間でくすぶっていた「本音」なのだろう。ベトナム戦争が終わり、学生運動の機運が失われていった時代。ある種、若者たちの熱が冷めていった時代だったのかもしれない。しかし、そんな中でも一部の若者はまだ熱を持っていた。それが今作の宏たちである。彼は劇中でこう言っている。
「このままじゃ俺は29歳のポンコツになっちまう」
宏のこのセリフには、ポンコツな大人になるくらいだったら、とことん突っ張って死んだ方がましだ‥という意味が込められているのかもしれない。
こうした時代のカウンターを表した映画は、60年代から70年代前半にかけて作られたアメリカン・ニューシネマを筆頭に、古今東西いくらでもある。確かにこれらの作品と並べてしまうと今作に新味はない。しかし、宏たちのアウトロー然とした生き方には、変な言い方かもしれない奇妙な魅力を感じてしまう。それはつまり、宏たちのような自由な生き方に心のどこかで憧れている‥という証なのかもしれない。
今作は何と言っても映像が面白い。撮影監督は名手・鈴木達夫が務めている。彼のスタイリッシュで活劇度の強いカメラワークが、宏たちの荒々し姿を見事に活写している。
例えば、序盤の宏たちの逃走シーン。画面を歪めるようなトリック撮影を交えながらスピーディーに切り取られている。また、卓郎が目撃する自動車事故のシーンは、極端に短いカッティングで表現されていて迫力が感じられた。一方で、所々に登場する黄昏時の都会の風景はどこか儚げで、まるで宏たちの青春時代の終焉を暗示するかのようで抒情的である。このように、今作は至る所に鈴木達夫のテクニックが登場し、映像に関しては色々と見所が尽きない作品となっている。
監督・脚本は藤田敏八。藤田の演出も、鈴木達夫のカメラ同様、今回はかなりスタイリッシュに攻め込んでいる。特に、赤を多用した色彩演出は中々洒落ていて、これまでの氏の作品では余りお目にかかれない映像演出だった。タイトルの「赤い鳥」に掛けているのだろう。
また、紙幣を街路に放り投げたり、レコードを川に投げたり、宏たちの自暴自棄的とも言えるアクションの数々は、やや臭いながらも中々鮮烈である。
後半で宏が不意に見せる涙も然り。かなりインパクトがあった。彼は普段は突っ張っているが、本当は寂しい男なのである。その証拠に、彼はセックスを見世物にしながら旅の費用を稼ぐ卓郎とマコの傍で何も出来ずに、ただ惨めな気持ちになるだけである。この突然の涙には、そうした彼の寂しさ、孤独感が表れていると思った。実に切なくさせられた。
一方で、やや荒唐無稽で強引な演出も幾つか見られた。例えば、クライマックスで描かれるドタバタ狂騒劇はやり過ぎで少し白けてしまう。そもそも、あれほどまでに野次馬が必要だったかどうか‥。盛り上げようとしているは分かるのだが、ここまでされるとナンセンスである。他に、爆発炎上、警察の銃乱射といったリアリティ無視な演出、展開も見られる。
基本的に今作はクールなタッチの青春ドラマである。そこにこうしたコミック・タッチな表現が入りこんだのは少し残念だった。