堕ちていく若者たちの姿を鮮烈に綴った青春ロマンス。
「青春の蹉跌」(1974日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルロマンス
(あらすじ) 大学の法学部に通う賢一郎は、アメフト部に所属しながら法律の勉強に勤しんでいる学生。彼は女子高生・登美子の家庭教師をしていた。晴れて彼女が大学に合格し一緒にスキー旅行に出かけることになった。そこで二人は情熱的に愛し合い登美子が妊娠する。しかし、その一方で賢一郎は学費を援助してもらっている伯父の娘・康子にも惹かれていた。賢一郎は登美子に子供をおろせと言うが‥。
映画生活ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 夢に挫折する若者たちの姿を鮮烈に活写した青春映画。
いかにも当時のシラけ世代を風刺したような映画で興味深く観れる。70年代前半には閉塞感を抱えた若者を描いた青春映画が数多く作られ、一定の評価を受けていた。怠惰で刹那的な空気が若者たちの間で蔓延していた証がこの中に確認できる。今作は同時代的な匂いが存分に嗅ぎ取れる作品となっている。
何と言っても、クライマックスの雪山のシーン以降の展開が強烈だった。賢一郎が身重の登美子を連れて、かつて愛し合った思い出の場所へと向かうのだが、ここでのスリリングな愛憎劇には目が逸らせなかった。山の斜面を滑り落ちていく二人の眼下には滝が‥。夢や希望に打ち破れていく彼らの人生を暗喩するかのようなシチュエーションに息をのんでしまった。
監督はロマンポルノ出身の神代辰巳、脚本は伝説の映画監督・長谷川和彦。各所に登場してくる濡れ場には、いかにも神代らしいエロティズムが感じられた。かなり赤裸々に描写されている。
一方で、堕ちていく若者の姿には、やはり長谷川らしさも伺える。自身が監督を務めた
「青春の殺人者」(1976日)を想起させるような、稚拙で愚かな若者の姿が冷酷に筆致され、見ていて何とも歯がゆくなった。
例えば、このあっけない結末は、二人に因果応報が下ったと考えても今一つ釈然としないオチである。あるいは事故ではなく自殺だったのかもしれない‥という想像もでき、見終わった後には奇妙な虚無感に襲われた。これは当時のシラケ世代の虚無感とイコールで結びつけて考えることも可能である。余りにも突き放して描いているものだから、余計に色々と想像させられてしまう。
また、見た人の中には、登美子を思慮の浅いバカな少女と言う人もいるかもしれない。しかし、自分はどうしても彼女に一定の憐憫の情を禁じ得なかった。確かに彼女の行動は短絡的だったかもしれない。しかし、彼女のバックスボーンを考えた場合、その人生は実に忍びない。例えば、継母は情夫を連れ込んで昼間から目の前で堂々と肉体関係に及んでいる。これ一つとっても、家庭の中に登美子の居場所はどこにもなかったことがよく分かる。したがって、孤独な彼女が、唯一信頼できる賢一郎に心の拠り所を求めたのも無理もない話である。彼女は一途に賢一郎を思い続けた悲劇のヒロインなのである。
神代監督の演出は実に軽快で、映画は全般的にミニマムに構成されている。コンパクトにまとめられている分、ストレスなく見ることが出来た。ただ、件のクライマックスを除けば余りにも展開が流麗に流れていくので、もう少しメリハリがあっても良かったかもしれない。途中にインパクトのあるシーンが散りばめられていれば、更に映画に深みが生まれただろう。
それと、所々に入る意味不明なカットは個人的には余り感心しなかった。つり橋で転ぶ登美子のカット、新宿歌舞伎町の噴水に入るカット、自転車のペダルを漕ぐカットなどは、イメージカットとしては面白いが、少し奇をてらいすぎな感じを受けた。出来ればこのあたりは、ストーリーと相関させて欲しかった。
キャストはそれぞれに好演している。煮え切らない賢一郎を演じた萩原健一は正に敵役であるし、登美子を演じた桃井かおり、康子を演じた檀ふみもコントラスを効かせたヒロイン像を見事に造形している。この頃の桃井かおりは何かというとすぐに脱いでいたが、今作も例に漏れず。大胆なセックスシーンを身体を張って演じている。メンヘラ的な気だるさは、彼女にしか出せない味だろう。ドラマの支柱的存在感を見せつけている。尚、檀ふみの方は本作が映画デビューとなる。