馬喰の半生を描いた人情ドラマ。
「馬喰一代」(1951日)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 北海道で馬喰をしている米太郎は、喧嘩っ早いが情に厚い豪傑である。馬の市場でせっかく手にした売上を、舎弟の借金の肩代わりをして残りは飲み代と博打で使い切ってしまった。家ではひもじい思いをしながら待っている妻子がいたが、米太郎の頭の中には家族のことなどこれっぽちもなかった。そんなある日、妻が病に倒れてそのまま帰らぬ人となってしまう。米太郎は改心し、幼い息子・太平を立派に育てる決心をする。数年後、太平は賢く優しい子に育った。学校で父が馬喰をしていると虐められても、彼は決して弱音を吐かなかった。そんな太平を米太郎は自分と同じ馬喰にさせようとする。
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(レビュー) 馬の売買を生業にしている馬喰・米太郎と、幼い息子・太平の父子愛を感動的に綴った人情物語。
ややベタな個所もあるが、こうした情愛に満ちたドラマは安心して見ることが出来る。非常に親しみやすい良い話である。個人的には中盤の村相撲のシーンで胸が熱くなった。
今作の魅力は何と言っても、米太郎を演じた三船敏郎の佇まい。これに尽きるだろう。
米太郎は映画が始まってから約20分、ほぼ泥酔しており、どうしようもないダメ親父っぷりを見せる。ところが、妻が病死して以降は幼子・太平を男手一つで育てようと奮闘していく。喧嘩と酒と博打に明け暮れていた粗野な男が、子を持つ親の顔に変わっていくのだ。このギャップが、先述した村相撲のシーンでピークに達してホロリとさせられてしまった。太平を思う米太郎の不器用なまでの情愛に胸打たれた。
映画は後半に入ってくると、米太郎の晩年を描くドラマいなっていく。ここでの三船はすっかり足腰が弱くなった寂しげな中年になっており、それを悲哀を滲ませながら好演している。三船敏郎と言えば様々な代表作が思い浮かぶが、ここまで幅広い年齢層を演じ分けた作品はそうそうないだろう。自分が知る中では今作と稲垣浩監督の傑作「無法松の一生」(1958日)、それに黒澤明監督の
「生きものの記録」(1955日)くらいだろうか‥。本作でも三船は主人公の半生を多彩な演技で見せている。
他のキャストも見事な演技である。米太郎が通う飲み屋の酌婦・ゆきを京マチ子、米太郎が毛嫌いする高利貸し屋、六太郎を志村喬が演じている。今作のメインのテーマは父子愛だが、その傍らで、ゆきとのロマンス、六太郎との確執といったサブドラマが用意されており、脇を固める両者の好演も見逃せない。
特に、志村喬演じる六太郎については見応えが感じられた。彼は最初は金に汚い俗物として登場してくる。ところが、高利貸しで貯めた資産を元に何と彼は政界へと進出していくのだ。ここから六太郎は市井の人々に頼られる奥深い人間へと成長していく。一体何が彼をそんな風に変えたのかは分からないが(そこはシナリオ上の欠点だと思う)、志村喬という名前だけでその変容は自然なものとして受け止めることが出来る。これは彼の佇まいや、彼が辿ってきたフィルモグラフィーによって支えられた「説得力」という感じがした。
例えば、自分などは黒澤明監督の「酔いどれ天使」(1948日)の人情味溢れる医師役のイメージが大きい。志村喬=小市民の味方、そういう風に見れてしまう。そのイメージがあるため、六太郎というキャラに何となく親しみがわいていくる。とりわけ、終盤のゆきとの会話には味わいが感じられた。六太郎のさりげない優しさにしみじみとさせられた。
演出はオーソドックスに整えられている。基本的には引きのショットが多いのだが、中盤の村相撲のシーンはアップが多用され、このメリハリのつけ方は正に技ありという感じがした。手に汗握る相撲の場面が上手く盛り上げられている。
また、"下駄”を使った時間経過表現もスマートな演出である。阪東妻三郎主演の人情ドラマ
「狐の呉れた赤ん坊」(1945日)の"相撲人形”を使った時間経過演出と全く同じであるが、こうした小道具の使い方は中々上手い。
ただ、冒頭で述べたように若干過剰な演出が見られるので、そこはもう少し抑制してくれた方が個人的には良かったと思う。例えば、風船の演出などがそうである。ややベタ過ぎると感じた。
また、シナリオ上で、どうしても腑に落ちない点があった。太平の進学の学費を稼ぐための妙策が唐突に思えてならなかった。そこに行きつくための伏線が張られていれば納得できるのだが、通して見る限りそういった伏線は見つからない。例えば、前半で米太郎がそれなりに”その道”に通じているという描写があれば、このあたりは自然に見れただろう。何だか取ってつけたように感じられてしまったのは、やや残念である。