疑似父子の情愛を描いた人情ドラマ。
「狐の呉れた赤ん坊」」(1945日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 酒と博打、喧嘩に明け暮れる人足の寅八は、ある晩、狐が化けて出ると言われる通りで捨て子を拾った。寅八はそれは狐が化けてるに違いないと思ったが、世話をするうちにいつの間にか愛情を覚えていく。善太と名付けられた赤ん坊は、寅八の舎弟や行きつけの飲み屋の女将・おときの協力もあってすくすくと成長していく。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) ひょんなことから拾った赤ん坊に愛情を注ぐ父の健気な姿を感動的に綴った人情ドラマ。
寅八役の阪東妻三郎の好演もさることながら、軽快な展開、軽妙な会話、メリハリを効かせた演出等、見所に事欠かない作品である。戦後間もない混迷期の作品ながら、しっかりと作られていて感心させられた。シナリオに無駄がなく、伏線と回収も上手く符合し、実にしたたかに出来上がった大衆娯楽作品である。
監督・脚本は丸根賛太郎。フィルモグラフィーを見ると主にプログラムピクチャーを手掛けてきた職人監督らしく、中にはかの実写版「鉄人28号」の監督なんていう経歴も見つかる。
この「鉄人28号」はDVD化されておらず見る機会はせいぜい"懐かしのヒーロー大集合”といった類のテレビ特番くらいしかないが、全長2メートルの"張りぼて鉄人″はかなり陳腐でお世辞にもよく出来ていると言い難い。たった1クールで打ち切りになったというから、おそらく当時の子供たちには受けなかったのだろう。そんな失敗作もある丸根監督だが、今作を見る限り演出・脚本は中々手練れていると思った。
たとえば、大井川の大明神祭のシーン。スケール感と躍動感に溢れた映像は、製作れた時代を考えればかなり大掛かりな撮影である。大変見応えがあった。また、病気の善太のために駆けずり回る寅八の姿などはスピード感溢れるカメラワークで表現されていて、今見ても全然古臭さを感じさせない。実に先鋭的と言えよう。
小道具の使い方も上手い。善太の成長の過程を、言葉やナレーションを使わずに、寅八の親友の関取・賀太野山が巡業先で買ってくる”相撲人形”で表現させた所は上手かった。他に、玩具の刀、寅八の寅の刺青といったアイテムもドラマの中で上手く機能していた。
活き活きと描かれたサブキャラも皆、愛着感が湧くように造形されていて良い。寅八の舎弟トリオはコメディリリーフの役割を果たし、飲み屋の女将・おかよのきっぷの良さ、健気さには味がある。
また、人足の寅八にとっての宿敵、馬方の丑五郎も良い味を出していた。この二人は顔を合わせればすぐに喧嘩になる犬猿の仲である。「人足どもは年がら年中裸でみっともねぇ!」と丑五郎がバカにすれば、「馬に食わせてもらうわけにはいかねぇ!」と返す寅八。こんな調子でこの二人はいつも喧嘩をしている。それがある事件によってそれが変わる。丑五郎は寅八のことを正真正銘の男として見直すようになるのだ。この関係変遷にはしみじみとさせられた。
尚、この事件を受けての終盤の質屋のセリフ「もう一度死ね!」にも感動させられた。親子の情愛というテーマがこの一言に集約されているような気がする。その言葉を受けて行動する寅吉の姿に思わずホロリとさせられてしまった。
一方、今作の難は、善太の心情が余り前面に出てこないことである。父の息子に対する愛は雄弁に語られているのだが、逆に息子が父をどう思っていたのか?そこが今一つ主張されていない。寅八の視座で構成されるストーリーなのでそれも止む無しであるが、これでは一方的な愛情ドラマに写りかねない。ここは善太から見た父親像を入れることでもう少しバランスを取って欲しかった。また、善太の成長過程が省略されてしまっているのも雑な語り口である。結果、善太の心中にすり寄れないため、彼のガキ大将振りが少々鼻についてしまった。
更に、終盤の説明尽くしは、ややもすると鬱陶しく感じる可能性がある。全てを知っていた賀太野山も、どうかすると人の悪さばかりが前面に出てしまい、せっかくの人情話にケチをつけることになりかねない。この終盤はもう少し時間を費やして丁寧に描いて欲しかった。