父親捜しの旅をユーモラスに綴ったロードムービー。
「神様のくれた赤ん坊」(1979日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルコメディ
(あらすじ) 売れない女優・小夜子と三流漫画家・晋作は同棲中のカップル。ある日、部屋に見知らぬ中年女性がやってきて新一という少年を置いて去って行った。添えられていた手紙には疾走した母・明美の自筆で、少年の父親かもしれない5人の男の名前と住所が書かれていた。その中の一人が晋作だったのである。晋作は自分の子供ではないと否定するが、怒った小夜子は部屋を出て行った。その後、晋作と新一は本当の父親を探す旅に出る。二人のことが気になった小夜子もそれに付き合い、こうして3人は一緒に旅をする。
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(レビュー) 捨て子の父親探しに奔走する若いカップルの悲喜こもごもをユーモアとペーソスで綴ったロードムービー。
映画冒頭から一気に引き込まれた。何の説明も無いまま事件が起こる展開は強引であるが、これくらいインパクトがあればドラマの"引き”としては申し分ない。
晋作と小夜子は、訳も分からず見ず知らずの少年を押し付けられ右往左往する。しかし、見捨てることも出来ず少年の父親捜しの旅を仕方なく始める。映画は、彼らが出会う様々な事件をユーモアと情緒を織り交ぜながら端正に描いている。
何と言っても、途中で登場する新一の父親かもしれない男たちが、夫々に個性派ぞろいで面白かった。
政治家、若き実業家、元プロ野球選手、元ヤクザと職業も性格も実に多彩である。そして、彼らは皆、新一を引き取りたくないと言う。実に世知辛い話であるが、この映画はそのあたりの悲劇を軽快且つユーモラスなトーンで描いている。それほど悲惨さが感じられず、隠滅としたドラマに持って行かなかった所が絶妙である。肩を張らずに見ることが出来た。
例えば、政治家のエピソードでは意外なオチが用意されていて面白かった。若き実業家のエピソードは、披露宴会場という特異なシチュエーションがスラップスティックな笑いを誘う。元ヤクザのエピソードには意外なからくりが仕込まれていて良い意味で驚かされた。唯一、元プロ野球選手のエピソードだけは消化不良な感じを受けたが、それ以外は皆、面白く観れた。
そして、この映画は新一の父親捜しの旅を描く一方で、小夜子の出自を巡るドラマも描いてる。こちらは彼女の回想を交えながら展開されるのだが、そこから小夜子も悲劇を背負った女性であることが分かってくる。やがて彼女はこの旅を通して過去の傷を払拭し、新しく生まれ変わる。つまり、母性を芽生えさせていくのだ。この小夜子の母性は、ラストでメインのドラマである新一の父親捜しのドラマに収束されていく。二つのドラマが、家族愛というテーマに止揚され、見事なカタルシスを味あわせてくれる。脚本の構成が素晴らしい。
監督・脚本は前田陽一。共同脚本に名ライター・荒井晴彦の名前が並んでいる。
「もしかしたら私たちの考えてることって同じなんじゃないかしら?」というセリフが何度か登場してくるが、このセリフは荒井氏の発案だろうか?伏線の上手さが奏功し、出るたびに思わずニヤリとさせられてしまった。実に洒脱の効いた"セリフ遊び”で面白い。
また、手紙や、祝儀袋、野球帽、写真といった小道具の使い方も巧みだった。
前田陽一の演出はこれと言って独創性は感じられないが、堅実にまとめられていると思った。フィルモグラフィーを見ると、主にプログラムピクチャーとテレビドラマを渡り歩いてきた職人監督といった印象だが、多くの現場を知る「強み」が堅実な作りに繋がっているように思える。
ただ、全体的にサラリと流すように作られているので、若干物足りなさを覚える箇所もあった。脚本の段階での淡泊さなのか、現場での削ぎ落しなのか分からないが、例えば終盤の新一との別れの場面は晋作と小夜子の葛藤が不足気味と感じた。また、父親探しの旅がいつの間にか養育費奪取の旅になってしまう所にも若干の不自然さを覚えた。
桃井かおり、渡瀬恒彦、主演二人の好演は文句なしである。
桃井は母親願望、女優願望を抱え持つ複雑なキャラを上手く演じている。割と抑制された演技を貫いているが、唯一彼女の葛藤が痛々しく体現されるシーンがあり、そこには深い感動を覚えた。母親と同じように自分も娼婦を"演じる”という場面がそれである。はっきり言って精神を病んだ行動とも言えるのだが、その心中を察すると憐憫の情を禁じ得ない。
一方の渡瀬は、情けなさを前面に出しながら甲斐性無の男をコミカルに演じていて、こちらも見事だった。