笑いながら考えさせられてしまうシニカルコメディ。
「喜劇 にっぽんのお婆あちゃん」(1962日)
ジャンルコメディ・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 東京浅草にやってきた老婆、サトとくみは、意気投合し一緒に浅草見物としゃれ込んだ。ある時、二人は道端でチンピラに絡まれる。負けん気が強いくみは猛烈に言い返して辺りは騒然となった。これにはさすがにチンピラたちも尻尾を巻いて逃げてしまった。その現場を偶然、焼き鳥屋の店員・昭子が見ていた。彼女は二人を気に入り、自分が働いている店に招待した。二人はそこで楽しく飲食する。ところが、団体客が入ってきたのでそそくさと店を出ることにした。昭子は少し寂しげな表情を見せながら、あとでアパートに遊びに来るように誘った。その頃、郊外の老人ホームでは騒然となっていた。入居していた老婆が遺書を残して出て行ってしまったのである。院長が警察に連絡して捜索が始まるのだが‥。
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(レビュー) 孤独な老婆達の悲喜こもごもを描きながら、老いとは?家族とは?といった問題をシニカルに問うた異色コメディ。
何と言っても、登場する俳優陣が魅力的である。サトを演じるミヤコ蝶々、くみを演じる北林谷栄、共に好演している。更に脇役陣も豪華である。浦辺けいこ、岸輝子、東山千栄子、左卜全、殿山泰司、三木のり平、小沢昭一、伴淳三郎といった渋いキャストが揃っている。また、田村高弘、渥美清、木村功といった中堅どころも頑張っており、全体的にキャスト陣の層が厚い。これだけでも見応えが感じられる作品だ。
そして、今作の肝は何と言ってもサトとくみのやり取り。これに尽きるだろう。二人は孤独な者同士、暫しの交友に慰められていくが、実は夫々が抱える家庭環境、境遇はかけ離れている。時には嘘を言い合い、その嘘を受け入れながら、互いに身を寄せ合って世俗を渡り歩いていく。その姿は、見ていて何ともいじらしい。
原作・脚本は水木洋子。成瀬巳喜男監督の「浮雲」(1955日)や
「あにいもうと」(1953日)の他、今作の監督今井正とのコンビも多く、このブログで紹介した
「にごりえ」(1953日)、
「ここに泉あり」(1955日)といった作品も手掛けている。人情味あふれるテイストが彼女の持ち味で、今回もそれがよく出ていると思った。
たとえば、サト達と昭子の温もりに満ちた友情形成にはしみじみとさせられた。昭子のサバサバとした性格も関係しているかもしれないが、祖母と孫ほども年の離れたサト達と何の違和感もなくまるで友達同士のように付き合える関係が素敵である。また、その友情形成に一役買うレコードやラーメンといった小道具の使い方には、水木洋子のライターとしての上手さが伺える。
そして、本作は彼女たちの愉快な道中を描く一方で、老齢化社会の影の部分もチクリと風刺している。
サトとくみは、夫々にある理由から家出をした身である。老人ホームでのギスギスした人間関係、息子夫婦から疎まれる生活。そういった環境に嫌気がさして二人は死を覚悟して飛び出してきたのである。その心中が時折透けて見える瞬間がある。例えば、昭子の何気ない一言に傷ついたり、手提げ袋の中から大量の睡眠薬が出てきたりetc.彼女たちはふとした瞬間に心細くなって落ち込んだりするのだ。老いや死からは逃れることはなできない。いずれ孤独に死んでいく‥。そんな実情が彼女たちの演技の端々に見られる。中には、ギョッとさせるようなホラー的な演出も施され、くみが回想する老人ホームのフォークダンスなどには死の臭いが嗅ぎ取れた。明快一辺倒な演出に堕さなかった所は今作の妙味だろう。それによって作品の歯ごたえが感じられる。
また、木村功演じるセールスマンの顛末もかなり悲劇的である。これも競争社会の影の部分を描いたドラマだと思う。あそこまでする必要があったかどうかは賛否あるが、これも生と死の数奇を皮肉的に見せている。
このように、今作は人間の心の闇、時代の闇を暗に忍ばせたような作りになっており、観る方としても現実がいかに残酷であるかが、しっかりと受け止められるような作りになっている。
特に、ラストのサトの行動などは、老いの問題を観客に直視させるような問いかけになっており、果たしてこれを突きつけられたあなたは彼女の家出の選択をどう捉えますか?というような問題提示になっている。老齢化社会の真っ只中にある現在。色々と考えさせられた。