ソ連崩壊直前に製作された野心溢れる逸品。
「懺悔」(1984ソ連)
ジャンル社会派・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ある町で市長のヴァルデムが死去する。彼は町の支配者であり英雄でもあった。多くの人々に見送られながら埋葬されるが、翌日、喪に服す家族の前に彼の死体が現れた。その後、何度埋めても死体は家族の目に現れる。溜まりかねた家族は墓に鉄柵を張って見張りを付けた。そこに表れたのはケーキ作りをしているケティという女性だった。彼女は何故ヴァルデムの死体を何度も掘り起こしたのか?裁判の中でその理由が明らかにされていく。
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(レビュー) 架空の町を舞台にした寓話的作品ながら、ここで描かれているドラマはソ連時代の強権政治を明らかに暗喩している。ヴァルデムの独裁政治はスターリン政権への批判であるし、彼の元で苦しみを強いられる人々の姿は当時の世情にダブって見えてくる。
今作が製作された当時は、まだソ連は健在だった。したがって、直接批判するようなことは出来ず、こういう形で物語が描かれたのであろう。そこには製作サイドの苦心と野心の跡が見える。
尚、今作はゴルバチョフ政権のペレストロイカ(改革)を象徴する映画となった。皮肉にも時代の証憑として多くの人々の心に残るタイムリーな作品になってしまったわけだが、それはソ連崩壊の転換点を飾った映画であることの証でもある。そういう意味では、実に意義のある作品と言うことが出来よう。
物語は、体制に抗った女性ケティの半生を綴った大河ドラマとなっている。彼女はヴァルデムの下で無残な死を遂げた人々の復讐を受け、彼の亡骸を墓穴から掘り返して家族や公衆の面前に何度も晒す。ヴァルデムは英雄でも何でもない。ただの無慈悲な独裁者だった‥ということを知らしめるべく、孤独な戦いを始めていくのだ。その後、警察に逮捕されたケティは裁判にかけられる。そこで彼女は自分が見てきた悲惨な現実を告白していく。その回想録は実に残酷なものである。
例えば、幼いケティが母と一緒に丸太置き場を彷徨うシーンは見てて辛かった。この丸太置き場にはケティの父が流刑された場所が記された木材が隠されている。
元々、ケティの父は教会のフラスコ画を描く職人だった。ある日、父はヴァルデムに古くなった教会の修復を嘆願する。しかし、これがヴァルデムの怒りを買ってしまう。彼は無神論者だったのだ。理不尽に裁かれた父は幽閉されてしまう。その行き先は木材に記されて丸太置き場に隠される。このシーンでは、ケティと母がそれを見つけようと必死になって探すのだ。しかし、何百本もある丸太の中からそれを見つけ出すことなど、当然不可能である。愛する父を探し求めてもそれが叶わない‥。寒々しい光景も相まって、二人の悲しみ、憤りに胸が詰まる思いであった。
タイトルにもなっている「懺悔」という言葉からも分かる通り、今作には教条主義的な作りが貫かれている。これはヴァルデムのモデルになったスターリンが無神論者だったことに大きく関係している。彼は神学校で学んだ経歴を持っているが、マルクスに出会ったことで科学絶対主義に傾倒していった。だから、彼を批判すべくキリスト教というキーワードを持ってきたのだろう。つまるところ、全ての罪を「懺悔」しろ‥というように。
このように今作は、過去のソ連の暗黒時代を寓話という形に巧みに落し込んでいる。中々骨太な作りで、製作サイドが訴えるメッセージも真摯に受け止めることが出来た。
ただ、これは致し方がないことなのだが、寓話として描いたことで若干リアリズムは薄まってしまった。非現実的で幻想的なタッチが混入され、正直そこについては取っつきにくいという印象を持った。例えば、様々な人物が見る悪夢が時折挿入されるが、これによって物語の現実感は後退してしまっている。また、ローマ兵のコスプレも何だか滑稽に見えてしまうし、歌唱シーンも異様でしかない。カメラも無頓着な所があり、作品の完成度は決して高い方ではないと思う。
しかしながら、当時の社会的事情による製作態勢の限界を鑑みれば、こうした作りの曖昧さ、拙さは作品の『価値』を決して貶めるほどではないと思う。第一にテーマ自体が力強く発せられているので、その点だけでも今作の存在意義は大きいだろう。
世界は過去の歴史の上に成り立っている物である。過去を知ることでより良い未来を作ることは、現在を生きる我々の大切な務めである。このような歴史を見つめ直すきっかけを作ってくれる作品は、少なくとも一度は見ておいても損はない。