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凶悪

凶悪事件を追う記者が「悪」に取りつかれていくサスペンスドラマ。
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「凶悪」(2013日)星3
ジャンルサスペンス
(あらすじ)
 雑誌記者・藤井の元に死刑囚・須藤から手紙が届く。そこには須藤が起こした殺人事件の他に3つの殺人が書かれていた。早速、藤井は須藤に面会する。須藤は自分以外に、”先生”と呼んでいる首謀者がいると告白した。そして、自分を死刑へ追い込んだ彼に対する復讐の念を吐露した。藤井は須藤の証言を頼りに3つの事件を独自に調査していく。

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(レビュー)
 死刑囚の告発を元にしたノンフィクション小説を、緊迫感あふれるタッチで映像化した作品。

 物語は、雑誌記者藤井が連続殺人犯の死刑囚・須藤の証言を元に、3件の未解決事件を追いかけていく‥という形で展開されていく。前半は主に藤井の視座で進行する推理劇、後半から須藤の回想で綴られる回答編となっている。

 若干、説明不足な個所があるのは残念だったが、全体的には緊密な作りに仕上がっている。元来、藤井が冷静なキャラなため一見するとクールな映画に見えるが、ストーリーはかなりテンションが高く、画面に映し出される凶行の数々も画面に異様な緊迫感をもたらしている。

 まず、なんと言っても今作は藤井の心理変遷が大きな見所となろう。彼は初めこそ須藤の証言に半信半疑だったが、実際に調べてみるとその通りだったので驚く。そして、捜査にのめり込んでいくうちに、3件の事件を結びつける”先生”と呼ばれる主犯格・木村の存在に辿りつく。藤井は事件の元凶たる木村を執念で追い込んでいくのだが、ここがこのドラマの大きなポイントである。事件内容を知ることで膨れ上がっていく木村に対する憎しみ、彼を白日の下に晒して裁こうとする執念がコントロールできなくなり、彼は会社と家族の信頼を失ってしまう。要するに、藤井は須藤と木村の「凶悪」に魅了されて、自分自身を見失ってしまうのだ。

 よく言われる諺で「目には目を、歯には歯を」という言葉がある。人殺しは死の報いをもって償うべしという風潮は、少なからず誰の心の中にもあるのではないだろうか。それゆえ、藤井のこの正義感は非常によく分かる。しかし、その一方でこれは極めて危険な心理とも言える。
 仮に、これが殺された遺族だったら、犯人を殺したいほど憎むだろう。しかし、そうは考えても実際には行動に移さない。人殺しを殺したら自分も人殺しになってしまうからだ。全ては法律によって裁かれるべき問題である。
 藤井はペンという凶器を持って木村を死刑台へ追い込もうとした。これは勇気のある行動と言える。しかし、その一方で彼は大切な物も失った。それは人としての心だ。

 藤井が捜査にのめり込んでいく一方で、塀の中の須藤はキリスト教に入信し信仰に芽生えていく。彼は生きることで罪を償う‥と言っている。これは正しくキリスト教の教えに準じる考え方で、「目には目を、歯には歯を」という憎しみに絡み取られていく藤井とはまるで対照的な思考である。木村を殺したいほど憎んでいたはずの須藤が憎しみを和らがせ、逆に藤井の憎しみが増していく。この逆転現象は何とも皮肉的で面白い。

 こうして藤井は執念で木村を追い込み、3件の未解決事件はセンセーショナルな騒動を巻き起こして一旦の結末を迎える。そして迎えるラスト。逮捕された木村は面会室で、何か物言いたげに藤井を指さして映画は終わる。この所作はドラマを締め括るという意味では非常に印象に残る演出だった。というのも、これは藤井の家庭問題にリンクしているように思うからである。

 藤井の家には認知症の母親と妻がいる。介護で心労が極まった妻との関係は完全に冷め切っていて、藤井の心が休まる場所はどこにもない。そんな彼は、もしかしたら心のどこかで、認知症の母親の死を願っていたのではないだろうか?実は、この藤井家のエピソードは原作には無いエピソードらしい。映画オリジナルの設定ということだ。初めは家庭内の不和など、このサスペンス劇に全く不要と思って見ていたのだが、最後の最後でこのエピソードが痛烈に突き刺さってくる。

 とうのも、木村は老人を殺して土地を転がしてきた犯罪者である。一方の、藤井は認知症の母の面倒を妻に任せっきりだった。つまり、この二人はどこかで同じような人間だったのではないか‥という気がするのだ。ラストの木村の指をさす所作は、藤井自身にそれを気付かせたのではないだろうか。映画は、藤井の全身を引きのショットで延々捉えて終わる。藤井の喪失感、敗北感が滲み出てくるようで実に印象に残った。

 俳優陣は夫々に好演していると思った。藤井を演じた山田孝之は常にロー・テンションな演技だったが、後半に入ってくるとまるで須藤や木村の悪心に取りつかれたように変貌していく。静かな狂気を滲ませながら、精神が壊れていく様を抑制された演技で体現していた。
 須藤を演じたピエール瀧、木村を演じたリリー・フランキーは本来のパブリック・イメージとは正反対の役柄だが、これが意外にハマっていて驚いた。ピエール瀧はあれで結構厳つい顔をしているし体格も大きい。したがって、こうした粗暴なヤクザ者をやらせると中々様になる。リリー・フランキーも「ぐるりこと。」(2008日)に比べると格段に演技が進歩している。普段は柔和だが、その中にかすかな精神の欠損が感じられる。時折、異常なテンションになる所にちょっと笑ってしまったが、そこも含めて目の離せない演技だった。

 また、電気屋の息子役で廣末哲万が出演していた。廣末と言えば、「群青いろ」というユニットを作っている相棒・高橋泉を連想するが、その高橋が本作では脚本を担当している。いかにも彼らしいドキュメンタルな語り口は物語に重厚な味わいをもたらしている。
 ただし、事件背景がかなり、ぼやかされてしまったのは残念である。例えば、劇中で須藤が木村の画策だったことに気付く瞬間は描かれていない。舎弟を殺させた直後だろうか?だとしたらどうやってそれを知ったのか?それらが明確に示されていない。
 また、木村と須藤の出会いも劇中では描かれていない。須藤は何故木村を”先生”と呼ぶようになったのか?その経緯が気になった。藤井の調査も当然そこまで切り込んでいくと思ったのだが、そこまではいかなかった。このあたりは気になる所なのでぜひ見てみたかった気がする。
[ 2013/11/05 23:12 ] ジャンルサスペンス | TB(0) | CM(0)

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