恐ろしい青春ドラマである。
「共喰い」(2013日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 昭和63年、下関の漁村。高校生・遠馬は、父・円と愛人・琴子と暮らしている。円はセックスをする時に暴力を振るう性癖があり、それで母・仁子は家を出ていった。現在は近くの川辺で魚屋を開業している。遠馬には千種という同年代の恋人がいた。彼女とは時々神社の隠れ家でセックスをしているが、その度に父と同じように自分もいつか彼女に暴力を振るってしまうのではないか‥という不安に駆られていた。夏休みに入り、遠馬は琴子から妊娠したことを告白される。ショックを受けた遠馬は、千種を神社に呼び出して乱暴に犯そうとした。これがきっかけで遠馬は千種から遠ざけられるようになってしまう。
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(レビュー) 異常な性癖を持った父とその息子の確執を、周囲の人間模様を交えて描いたダークな青春ドラマ。
芥川賞に輝いた田中慎弥の同名小説を
「大鹿村騒動記」(2011日)、
「やわらかい生活」(2005日)、
「ヴァイブレータ」(2003日)、
「皆月」(1999日)の荒井晴彦が脚色、
「レイクサイド マーダーケース」(2004日)、
「WiLd LIFe」(1997日)の青山真治が監督した作品である。
原作は未読だが、作家の田中慎弥の受賞スピーチは印象に残っている。受賞式での斜に見た物言いに、少々変わった人だなぁ‥という印象を持ったが、今作も通り一辺倒な青春ドラマにはなっていない。実に陰惨な青春ドラマとなっている。
いわゆる田舎でウジウジする少年の物語は取り立てて新鮮というわけではない。しかし、そこで描かれる父に対する憎悪、その父の遺伝子を受け継いでしまったことに対する恐れ、嫌悪といった物がひたすらネガティブに描かれており、青春の闇の部分をとことん突き詰めた所には見応えが感じられた。しかも主人公・遠馬は思春期真っ盛りの高校生である。当然、性への強い欲望があるわけで、そこでの葛藤が息苦しほどの圧迫感で筆致されている。
物語は、遠馬がガールフレンド・千種とすでに肉体関係にある状態から始まっている。遠馬は彼女と寝ることで性のはけ口としているが、しかし相手の千種はまだセックスに未熟で快感を得られない。また、避妊具を付けてのセックスを強制する。これに苛立った遠馬は、つい父と同じように暴力を振るってしまう。
彼の父はセックスの最中に相手を殴る性癖を持っている。それが原因で母は家を出て行った。そして、現在でもその性癖は改まることなく、一緒に暮らしている愛人・琴子のことを殴っている。遠馬は幼いころからずっとそれを見てきた。そして、自分も父と同じように愛する人を殴ることでしか快感を得られない男になってしまうのではないか‥という不安に捕われているのだ。その不安は、千種に暴力を振るってしまうこのシーンで現実のものとなってしまう。
こうして遠馬は千種に拒絶される。そして、行き場をなくした欲望は、彼を団地に住むアル中女へと向かわせる。この女は誰彼構わず男を誘い込んでは、体を売っている病んだ女である。遠馬の父もここの常連客で、彼もそこに行ってしまうのだ。
愛する人に手を上げて、近所のアバズレに慰めてもらう‥。皮肉にも遠馬は憎むべき父とまったく同じ運命を辿ってしまう。こうして遠馬の苦悩は更に深まっていく‥。
彼のこの強迫観念はどこからくるものだろうか?映画を見ながらずっと自分はそのことについて考えていた。そして、一番の原因は母親にあるのではないか‥と思った。
母は遠馬を見るにつけ、あんたは父と同じ遺伝子を受け継いでいる。あんな男の子供はもう二度と生みたくない‥と言う。こんなことを言われては、当人だって本当にそうなるんじゃないか‥と思ってしまうだろう。もちろん遠馬の苦悩の元凶は父親にあるわけだが、その一端は母親にもあるように思った。
そんな遠馬と父の確執は、クライマックスの”ある事件”によってドラマチックな顛末を見せる。これは予想できない悲劇だった。何ともやりきれない思いにさせられた。
ただ、この映画にはエピローグ的なエピソードが最後に付け足されており、そこについては少なからず明るい展望も感じられた。決してハッピーエンドとは言い難いが、遠馬のかすかな成長、開放感は感じられた。青春映画の結末は大概、主人公の自律で終わると相場が決まっている。今作も例に漏れず。遠馬の自律は確かに感じられた。
尚、劇中にはかなり過激なセックスシーンが登場してくる。セックスは本ドラマの重要なエッセンスである。それを変に隠し立てせず赤裸々に描いた所には好感が持てた。逆にそこをオブラートに包みこんでしまっては、テーマもかすんでしまうだろう。そういう意味では、ここまで大胆に攻め切ったことは天晴である。
時代背景にも説得力が感じられた。昭和から平成に切り替わる時代、このような閉塞感漂う地方の小さな町はまだギリギリあったように思う。ネットワークが発達した現代にはない、最後の昭和の匂いがはっきりと嗅ぎ取れた。
青山真治の演出は端正に整えられている。遠馬が父と琴子のセックスを覗き見するシーンは、性に貪欲なこの年頃の少年の高揚感が見事に再現されていた。
ただ、幾つか野暮ったい演出もあって、例えば近所の子供たちの演技がすべからく軽薄であること、クライマックスにかけての遠馬の行動が雑であること。このあたりはもう少しスマートに演出して欲しかった。所詮は小さな町なのだから、真っ先に現場に駆け付けるくらいのテンションがあっても良い。どうにも乗り切れなかった。
また、これは元々の原作がそうなのかもしれないが、脚本上の強引さが一点だけあった。千種が遠馬の母の魚屋を引き継ぐのだが、これは唐突に感じられた。第一、ここに至る経緯を見ても、彼女が魚をさばく仕事に愛着を持っていたとは考えられない。また、その技術を一度も見せたことがない。伏線が無いためご都合主義に写ってしまった。
しかし、こうした不満はあるものの、全体的には非常に緊密に構成されていて一瞬も目の離せないストーリーに仕上がっている。見事なシナリオだと思った。
俳優陣は概ね好演している。遠馬役を演じた菅田将輝は思春期特有の不安定な心情を上手く体現していると思った。父親役の光石研の尖った演技も中々良い。そして、母親役の田中裕子も抜群だ。場末の魚屋という特異なキャラクターを気だるくハードボイルドに演じている。しかも、彼女には片腕を戦争で無くた過去があり、右腕一本で魚をさばいている。この設定が彼女を更に強い女性に見せいる。