大自然に生きる青年のサバイバル劇。
「大いなる勇者」(1972米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 1850年代、青年ジョンソンは町の暮らしを捨ててロッキー山脈を登っていた。そこで老練な山男クリスに出会う。彼から狩猟や山の掟について学び、ここで生きていくためにはインディアンとの交友を築いていかなければならない‥と教わる。そして、再び山を登り始めた。その道中、彼はインディアンに襲われた一家に遭遇する。夫を殺され生きる希望を失った妻は、口のきけない幼い息子をジョンソンに託した。こうしてジョンソンの旅は二人旅となった。その後、気の良いガンマン、デル・ギューに出会う。ジョンソンたちは、彼に連れられてインディアンの集落に足を踏み入れた。ジョンソンは酋長に気に入られて、娘のスワンを妻として迎え入れることになるのだが‥。
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(レビュー) 大自然の中でサバイバルしていく青年の姿を、壮大なロケーションをバックに描いたアドベンチャー・ドラマ。
監督はS・ポラック、主演はR・レッドフォード。スコセッシ&デ・ニーロのように、この二人も言わずと知れた名コンビである。身分の違いから悲劇的なロマンスに落ちていく男女を切なげに描いた「雨のニューオリンズ」(1965米)を初め、今作の翌年に製作された「追憶」(1973米)、社会派サスペンスの傑作として名高い「コンドル」(1975米)、そして念願のオスカー受賞に輝いた「愛と哀しみの果て」(1985米)等。息の合ったコンビが一時のアメリカ映画界にもたらした功績は大きい。今作もポラックの演出とレッドフォードの演技が見事な均整でバランスが保たれており、文明に背を向けながら敢えて大自然の中に人生を求めようとする男の葛藤が力強く発せられている。
尚、個人的には以前見た
「イントゥ・ザ・ワイルド」(2007米)という作品を想起した。あの作品も非文明の中に人生の意味を求めた青年の話だった。両作品とも、ドラマの基盤を成す"人間対自然”という構図がよく似ていて、人生とは何か?という大きな命題が語りかけられている。実に骨太な鑑賞感が残る。
今作は、何と言ってもラストが秀逸である。ジョンソンは先住民の縄張りを犯して悲劇的な運命を背負わされてしまうのだが、その結末を描いたこのラストは様々に捉えることが可能である。
自分は全てを失ったジョンソンが新しい人生を得た‥という風に解釈した。文明を捨てて自然の中に新しい人生を求めた彼は、あらゆる過酷な試練を乗り越えて、ようやくそれを実現したのだと思う。つまり"自然”に認められたのだと思う。ただし、この"勝利”は決してハッピーエンドというわけではない。新しい人生と引き換えに彼は、"ある大切な物”も失ってしまった。その苦々しさが感じられる所に人生の意味が噛み締められる。
人生とは損得が繰り返されながら続いていくもののように思う。得る物があれば必ず失う物もある。これは真理だと思う。我々は、普段の暮らしの中でこの真理を案外忘れがちである。大体は得ることばかりを考えて、失うことの厳しさについて忘れてしまう。それが傲りや慢心に繋がってその人をダメにしてしまうのだろう。
ジョンソンは自然の中に新しい人生を見つけ、それまで大切にしていた物、文明や人の絆といったものを失った。これは非常に辛いことだが、そうしなければ彼は新しい人生を得られなかっただろう。そういう意味で、この映画は、人が新しい生き方をするためにはそれまで大切していた物を失う覚悟をしなければならない‥ということを見事に言い当てているような気がした。
S・ポラックの演出は全編通して堅実にまとめられている。その一方で、グリズリーとの格闘や極寒のロケなど、ハードな撮影も敢行しており、今作に懸ける氏の並々ならぬ意欲が伝わってきた。
特に、終盤はセリフを極力排して、ひたすらジョンソンの決死のサバイバルが活写されており見応え十分である。ジョンソンは山で暮らすうちに一人前の猟師になっていくのだが、それまで狩る側だった彼がここでは逆に先住民に狩られる側に追い込まれていく。このスリリングでハードな戦いには思わず見入ってしまった。余計なものが一切ないストイックな描写が見事である。
一方、中盤まではユーモアやペーソスも所々で見られる。ジョンソンが旅の中で出会うお調子者のガンマン、デル・ギューは一服の清涼剤的なキャラクターでユーモアに溢れている。
また、途中からジョンソンの旅のお供になる口のきけない少年、インディアンの酋長の娘スワンといったキャラクターもよく立っていた。彼らとジョンソンが育む疑似家族の関係にはしみじみとさせられた。ハードなサバイバル劇の傍にこうした静かなペーソスを対置するあたりにS・ポラックの手腕が光る。