感動の実話なのだが‥・
「しあわせの隠れ場所」(2009米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルスポーツ
(あらすじ) スラム街に住む黒人少年マイケルは、父親の勧めで高校進学を決めた。ところが、勉強について行けずクラスから取り残されてしまう。家では継母に邪険にされ、次第にマイケルの心は腐っていった。その後、父は自殺してしまう。路頭に迷ったマイケルは荒んだ暮らしを送るようになる。そこに白人女性リー・アンが現れて、彼を引き取ることになった。彼女は外食産業のオーナーをしている夫と二人の子供と幸せな暮らしを送る裕福な主婦だった。彼女のおかげでようやくマイケルの未来は開けていくのだが‥。
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(レビュー) 実話の映画化ということだが、まるで絵に描いたような美談である。これをどこまで真摯に受け止められるかは人それぞれだろう。俺などは出来すぎた物語という感じがして、今一つ身が入らなかった。ドラマ、キャラクターが浅薄で、実話の割りに余り信憑性が感じられない。シナリオや演出の問題だろう。
なるほど、リー・アンは確かに出来た女性だと思う。彼女のマイケルに注ぐ愛情には頭が垂れる。きっと彼女に拾われてなかったら、マイケルの人生はお先真っ暗だったに違いない。リー・アンの慈悲深い愛は実に素晴らしいものに思えた。
ただ、いかんせん何故彼女がマイケルの世話をそこまで進んでするのか?その動機が、この映画を観てもよく分からなかった。一晩の宿を貸すぐらいならともかく(現に彼女の夫は最初はそのつもりだった)、家族として迎え入れ、大学進学まで面倒を見てやる。ここまでの善意を自ら進んでする人はそうそういないだろう。したがって、どこかリアリティのない物語に写ってしまった。
俺はこの映画を見ながら、きっとリー・アンにも過去に何かドラマがあって、そのせいでマイケルに特別に愛情を注ぐようになったに違いない‥と思ったのだが、どうもそういうわけではなかった。結局、彼女の善意が何に基づいてどこから発せられていたのか、それが見つからないままであった。
更に、彼女の家族のマイケルに対する対応も、同様に善意に凝り固まり過ぎである。普通は見ず知らずの他人が突然、家庭に入ってきたら様々な問題が起こるだろう。しかし、この映画はそこもサラリとスルーしてしまっている。終始、マイケルを温かく包み込む家族の姿は実に尊いが、しかし果たして善行だけを見せられても、はいそうですかとは納得できるものではない。
このように、この映画は過剰なまでの美談で感動を売ろうとしている。それがリアリティのある物だったら素直に感動できるのだが、少なくとも自分にとってはまるで絵に描いた理想像にしか見えず余り入り込めなかった。
もっとも、今作はリー・アンたちの善意を中和するべく、中立的な立場のサブキャラを周縁に散りばめている。例えば、リー・アンを囲む主婦仲間、マイケルに厳しい教師、終盤に登場する保護司等は、事あるごとにこの善意に疑問を呈する。一応こうしたドラマの障害があるにはある。ただ、これも描き方が形骸的で浅薄である。何か一つでも良いから、リー・アンの善意を脅かすような人物、事件があれば、このドラマはもっと骨のあるドラマになっていただろう。
尚、今作と同じスラム街を舞台にした青春ドラマでは「ボーイズ’ン・ザ・フッド」(1991米)という映画がある。そこにも、今作のマイケルと同じような、フットボールの才能に恵まれた不良少年のエピソードが出てくる。ただ、結末に関しては今作とまるで正反対なテイストになっている。「ボーイズ’ン~」の方がシビアで、スラム街の現実を真正面から捉えていると思った。現実には人の善意などという物は今作のように甘ったるい物ではなくて、時に無力である。そのことをきちんと描いている。そうすることで、初めて物語は真摯に受け止めることが出来るのではないだろうか。
キャストではマイケルを演じた黒人少年の造形が、このキャラクターに上手くマッチしていると思った。力持ちで気は優しいという朴訥とした役柄を自然に演じている。演技力云々という以前にこれは造形の魅力だろう。
リー・アンを演じたのはS・ブロック。今作で念願のオスカーを受賞しているが、それはこの役柄のおかげが相当あったように思う。ここまで一寸の曇りもない強い母性像を体現してくれたら、それは確かに見事という印象を見る者に植え付けるだろう。ただし、個人的にはこの次作
「ものすごくうるさくて、ありえないほどほど近い」(2011米)の演技の方を高く評価したい。今作と同じ母親役だが、そちらには母性の脆さ、弱さをもはっきりと体現されている。出演シーンが今作に比べて少ないにも関わらず、役柄には深みが感じられた。