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ゼロ・グラビティ

これは見る映画ではなく体感する映画。
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「ゼロ・グラビティ」(2013米)星5
ジャンルSF・ジャンルサスペンス
(あらすじ)
 地上600kmの上空でスペースシャトルの修理をしていた女性エンジニア・ライアンとベテラン宇宙飛行士コワルスキーが、予期せぬ事故で宇宙空間に放り出されてしまう。宇宙服の酸素が徐々に減っていく中で、彼らは絶望的なサバイバルを始めていく。

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(レビュー)
 音もない、重力もない広大な宇宙空間に放り出された二人の宇宙飛行士のサバイバルを臨場感溢れる演出で描いたSF映画。製作から監督、脚本、編集までをこなしたA・キュアロン渾身の力作である。

 尚、今回はIMAX3Dでの鑑賞である。監督自身が、本作は3Dにこだわって作られた作品なので2Dよりも3Dでの鑑賞がベターだろうと語っている。確かにその通りで、映像と音が良いIMAXだとより迫力と臨場感が味わえると思う。

 完成までに実に4年の歳月をかけたと言われている本作だが、こだわり抜いた映像に関してはまさに驚異の一言で、このリアリズム追及には目を見張るものがあった。特に、キュアロンは前作「トゥモロー・ワールド」(2006米英)あたりから意識してロングテイクを用いている。今回もここぞという場面ではそれが登場し、孤立無援の状態に置かれたライアンたちの恐怖と不安を見事に表現している。

 例えば、冒頭のシーン。広大で静かな宇宙空間に少しずつ見えてくるスペースシャトル。修理の作業にあたるライアンたちが事故に遭遇するまでを延々と1カットで描いている。見る者を自然と映画の世界に引き込んでしまうロングテイクは実に巧みだ。また、クライマックス直前のライアンの心情吐露を追った1カット1シーン。これも彼女の絶望感が見事に表現されていると思った。

 こうしたロングテイクは、映画にリアリティを付帯し、観客を画面に強く引き込む効果がある。監督によってはこれを持ち味としている人もいるが、お金と時間がかかるSFジャンルでそれを実践している人は、おそらく世界広しといえどA・キュアロンくらいではないだろ。自分はまるでライアンたちと一緒にこのサバイバルを体験しているような、そんな興奮を味わえた。

 加えて、今作にはライアンの一人称になるカメラアングルが時々登場してくる。これも無論、この極限状態を観客に疑似体験させようという演出上の狙いであろう。

 ストーリーの方は至ってシンプルである。そもそも今作の上映時間は約90分である。これは最近の映画にしては大変短い方である。映画は、ライアンたちが体験する恐怖をほぼリアルタイムで切り取っており、サスペンスを主とした濃密なドキュメンタリー風のストーリーになっている。ピンチの連続で攻めまくったことで、まるでジェットコースターにでも乗っているようなアトラクション感覚で楽しめる。しかし、その一方でドラマとキャラクターはやや物足りない。

 いわゆるオーソドックスなストーリー展開に、主人公が”行って帰ってくる”というドラマがある。今作も、ライアンが宇宙に”行って帰ってくる”ドラマと言うことが出来よう。しかし、映画の中では最初から彼女は宇宙に”行っている”状態、全体のドラマから言うとすでにクライマックスの状態から始まっている。つまり、彼女が宇宙に”行く”部分が無いのである。ということは、彼女は何を目的に宇宙へ行き、この任務を達成することで何を得られるのか?それが明確にされてないのである。したがって、本作を見た人の中には、ただ宇宙に行って酷い目にあいました‥というだけのドラマに写りかねない。確かに、ラストは感動的である。しかし、その感動はこのサバイバルを勝ち抜いた感動であって、ライアンの中の変化。つまり、彼女が何かを得たか、という感動ではない。

 逆に言えば、キュアロン監督はそこの部分を観客一人一人の解釈に委ねた‥とも考えられる。見た人夫々に解釈はあると思うが、自分はこう解釈した。ライアン自身の口から語られる”娘の死”をヒントに、この映画の”帰ってくる”部分が次のように考えられる。

 ライアンは自分の不注意のせいで娘を死なせたことを深く後悔している。そして、その罪を背負いながら、今回のミッションに就いた。彼女が向った先は無重力の宇宙空間。そこは空気のない死の世界である。おそらくだが、今回の事故でライアンは改めて地球の重力(グラビティ)の偉大さ、生命の源である母なる大地の尊さを知ったのではないだろうか。更に深く解釈すれば、宇宙=死の世界からの帰還は、”娘の死”からの解放とも取れる。地球と宇宙、重力と無重力が生と死のメタファーとするなら、ラストの海水も羊水のメタファーと捉えられよう。そして、クライマックスに登場する赤ん坊の泣き声。ライアンはそれを聞いて安堵する。これも生の象徴だろう。このように考えてみると、このドラマは一人の母親の再生ドラマ‥という解釈ができるのではないだろうか。

 今作にはライアンとベテラン宇宙飛行士コワルスキー、たった二人しか登場しない。コワルスキーには彼女のような過去のドラマは用意されていない。そのため彼のキャラクターが弱く、ライアンとの間で構築されていく信頼関係のドラマが今一つパンチに欠けるのは残念だった。このあたりの弱点は、二枚目俳優、J・クルーニーの持ち味で何とか持たせようとしている。しかし、欲を言えば彼の背景にも何らかの事情を用意して、ドラマ的な膨らみを持たせて欲しかった。確かに、3D映画の場合、映像に集中する分、なるべくストーリーはシンプルな方が良い。しかし、今回はスリムにし過ぎた感じがする。

 尚、二人の間で繰り広げられる会話の中には、所々でユーモラスな物が見つかる。これは、絶望的な状況を和らげる効果があって中々良かったと思う。そういう意味では、今回のシナリオはエンタテインメントとして上質に出来上がっていると思った。

 ライアンを演じたサンドラ・ブロックも中々の好演を見せている。特に、クライマックスの演技に見応えを感じた。サンドラはここ最近は演技派としてどんどん活躍の場を広げるようになってきた。今回はJ・クルーニーとの絡みはあるが、ほぼ彼女の1人芝居が続く。プレッシャーも相当あったと思うが、その期待に見事に応えていると思った。
[ 2013/12/17 16:04 ] ジャンルサスペンス | TB(0) | CM(0)

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