加賀まりこの魅力と斬新な演出は今見ても新鮮。
「月曜日のユカ」(1964日)
ジャンルロマンス
(あらすじ) 横浜のナイトクラブで働くユカは、店で一番の人気者である。彼女にはパパと慕う会社社長のパトロンがいた。その一方でボーイフレンド修とも付き合っていた。ある日、修とデートをしていた時に、偶然パパの一家団欒の光景を目にしてしまう。パパは娘にフランス人形をプレゼントして、今までに見せたことがないような笑顔を見せた。それを見たユカは嫉妬に駆られ‥。
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(レビュー) 奔放な女性ユカと彼女を追い求める男たちの関係をスタイリッシュに描いた恋愛ドラマ。
ユカを演じるのは加賀まりこ。今作は彼女ありきの作品だと思う。それくらい見事な存在感を見せている。
ユカの魅力は一言で言ってしまえば、”天然なキュートさ”である。何者にも捕われず自由気ままに生きる姿勢。若さゆえの恐れを知らぬ態度。男たちを手玉に取る魔性。何とも掴み所の無い性格をしていて、しかもそれが狙ってやっているわけではなくて”天然”という所が大変魅力的である。周囲の男たちは、知らず知らずのうちに彼女の虜になってしまう。
これは、いわゆるファム・ファタールとは少し違うような気がする。根っからの悪女であればそこに打算が働くが、彼女の場合はそれが無い。相手を策にはめようと駆け引きする気もない。素で”悪女”なのだ。
自分にとって加賀まりこと言えば、後年の印象しかない。しかし、今作の彼女を見て、改めて若かりし頃の彼女の魅力を発見し、また別の作品の彼女も見てみたくなった。それくらい今作における彼女の存在回は抜群だった。
このように自分もすっかりユカの魅力に参ってしまったわけだが、ただ一つ、甘ったるい喋り方や母親の言いなりになる所だけは、いただけなかった。これではカワイイを通りこして、完全にオツムの弱い娘である。彼女の魅力は、大人でもない少女でもない、半熟なセックス・アピールである。それがこの喋り方、母親に接する際の幼稚性は、キャラクターに合ってないような気がした。もう少し年相応の喋り方、自立心を持たせてほしかった気がする。
監督は中平康。彼の代表作と言えば、なんと言っても監督デビュー作「狂った果実」(1956日)だと思う。かのF・トリュフォーら、ヌーヴェルヴァーグの作家たちにも大きなインパクトを与えた日本映画史に残る傑作で今見ても全然古臭さを感じさせない。
そして、この「月曜日のユカ」も「狂った果実」の延長線上で作られたような作品のように思う。中平節は相変わらずクールで、それどころか「狂った果実」より更にその感性は研ぎ澄まされている。
例えば、オープニングタイトルのポップなスチール、ジャズバーの一種異様なBGM、無人ショットで延々と会話を流す演出等、奇抜でスタイリッシュな演出が各所で光っている。
また、楽屋裏でユカが元恋人のマジシャンと語らうシーン等、オーバーラップの演出も中々スマートで痺れさせられた。
更には、サイレント映画を思わせるようなナンセンスなコメディ描写も遊び心に溢れていて実に楽しい。
基本的に今作の中平康の演出はポップ且つ前衛的で、いわゆる通俗的な作りとはかけ離れたものとなっている。当時はすでに大島渚や吉田喜重ら、松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手と呼ばれていた作家たちが独自の路線を突き進んでいた頃であり、作家の個性を夫々に極めていた時代だった。全ての中平作品を見ているわけではないので、これが彼本来のスタイルとは断定できないが、しかし今作と彼の監督デビュー作である「狂った果実」は独創性という意味で頭一つ抜きん出ている感じがする。
昨今、この実験的且つ野心に溢れた演出スタイルは、再評価されるようになってきている。巷では中平康のレトロスペクティヴ上映が開催されるなどして、今なお多くのファンが生まれている。そういう意味では、中平康という映画監督は時代の先を走り過ぎた作家だったのかもしれない。
脚本は斎藤耕一と倉本聰が務めている。二人とも言わずと知れた巨匠であるが、この頃はまだデビューして間もない頃の新人だった。中平の演出スタイルに比べれば随分とバタ臭い脚本となっている。ただ、ユカの過去を追っていくドラマ、それ自体は決して悪くはないと思った。
彼女はパパが喜ぶ顔を見たいと常々言っているが、それは長年誰からも愛されてこなかった彼女の孤独の表れ、もっと言えば父性の欠落から来ている悲しい求愛のように見える。物語中盤から登場する母親との関係を探っていくと、そのあたりの経緯が読み解けて面白い。
また、彼女は身体は預けてもキスは絶対に許さないという変なこだわりを持っている。その理由は、やはり過去のトラウマに関係している。この種明かしは若干肩透かしを食らった気分だが、ミステリとしては中々上手く機能していた。