グザヴィエ・ドランの処女作は自伝的作品。母子の対立が赤裸々に描かれている。
「マイ・マザー」(2008カナダ)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 16歳の高校生ユベールは母のことを嫌っていた。父とは別居中で、家の中では常に険悪なムードが流れている。ある日、ユベールは母に一人暮らしを始めたいと申し出た。しかし、母はそれを許さず、ユベールは益々憤る。そして、同級生のアントナンの部屋に転がり込んだ。実は、二人は同性愛の関係にあった。そのことがアントナンの母親からばれてしまい‥。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 思春期の少年と母の葛藤をスタイリッシュな映像とリアリズム溢れるタッチで描いた青春映画。
「わたしはロランス」(2012仏カナダ)で世界的に注目されたグザヴェイエ・ドラン監督の長編デビュー作である。「わたしはロランス」がミニシアター系で話題になったこともあり、日本では旧作品が一挙に劇場公開されることになった。尚、監督第2作「胸騒ぎの恋人」(2010カナダ)も遅ればせながら公開中である。
現在、世界中から熱い注目を受ける若き俊英ドランであるが、今作が製作された当時はまだ19歳だったというから驚きである。しかも、本人が製作・脚本・主演まで務めている。早熟の天才とはどの世界にもいるものだが、ドランは正に今の映画界における"若き天才”の内の一人と言っていいだろう。
今回の映画には私的な部分が相当入っていると言う。実際に彼は母親に対してこうした鬱積した感情を持っていたのだろう。その感情を感傷に溺れることなく公正に描いた所に末恐ろしさを感じる。
しかも、テーマが実に普遍的である。この年頃の男子にとって、母親という存在は大変疎ましいものである。現に自分もユベールと似たような感情を母親に対して抱いたことがあった。さすがにここで描かれているほどの憎しみは無かったが、おそらく誰もが一度は通る道ではないだろうか。それをドランは赤裸々に表現して見せている。
ただ、ユベールと母親は何故ここまで”こじれた”関係になってしまったのか?そこは映画を見てもはっきりとしない。彼らが今日に至る経緯が描かれていないので、そこは想像するほかない。考えられるヒントとしては、父親が別居中ということだろうか‥。
劇中の母やユベールの話によれば、父は子育てに向かない父親だったらしい。おそらく仕事ばかりで家庭のことを蔑にしてきた、そんな父親だったのだろう。そのせいで母は人一倍ユベールに愛情を注いだ。現に、ユベールの幼少時代を写した記録映像が出てくるが、それを見ると昔の二人はとても仲の良い母子だったことが分かる。
しかし、時が経てば人は成長する。ユベールはいつまでも無垢なユベールではない。成長するにつれて自立心が芽生え、母親とはいえ彼女を一人の人間として見るようになる。そして、自分が今まで気づかなかったような欠点が見えてきて、過去の愛情は次第に幻滅へと変わっていった‥。そんな風に想像できる。
人間である以上、誰でも欠点はある。しかし、他人だったら見て見ぬふりが出来ても、一緒に暮らす家族同士では中々そうはいかない。逆に言えば、そこを受け入れることが出来るのが家族である‥と言い方も出来るのだが、ユベールにはそれが出来なかったのである。
もはやここまでくるとこの関係は修復不可能のように思えた。長い時間を過ごしてきたからこそ、その溝を埋めるのは容易ではない。
ラストは見ていて実に辛いものがあった。少々煮え切らない終わり方であったが、これが製作当時の監督の正直な心情だと思うと切なくさせられた。
正直な所、厳しく見てしまうと、さすがにデビュー作と言うこともあり、まだまだ作りに粗い面がある。ただ、ドランのセンスはシンメトリックな映像構図、色彩設計などに鮮やかに出ており、10代が作った作品とは思えぬ完成度である。
リュック・ベッソン、ジャン=ジャック・べネックス、レオス・カラックス。かつて80年代のフランスではヌーヴェルヴァーグの再来とも、”恐るべき子供たち”とも称された若き天才作家たちがいた。しかし、一番若いカラックスでさえデビュー作は23歳である。そのことを考えてみても、グザヴィエ・ドランの19歳という年齢は実に驚きである。
また、監督自身の演技も中々真に迫っていた。今の自分を等身大に演じたという感じで、母に対する愛憎が痛々しく体現されていて強く印象に残った。