戦争の狂気を抉った作品。
「野火」(1959日)
ジャンル戦争
(あらすじ) フィリピン戦線のレイテ島。敗戦濃厚だった日本軍は食糧難に悩まされていた。田村一等兵は食糧にありつくために仮病を使って病院へ出入りしていた。しかし、とうとう門前払いを食らい路頭に迷ってしまう。外には田村と同じように病院から追い出された兵士たちがいた。その集団に一時身を寄せる田村。そこにアメリカ軍の空襲が始まる。どうにか小さな集落に逃げ延びた彼は、そこで現地人を射殺して僅かな塩を手に入れた。その後、田村は隊からはぐれた3人の兵士達と出会う。彼らは人肉を食って生き延びたと言うのだが‥。
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(レビュー) 戦争の狂気を描いたという意味では、かなりの衝撃作である。この手の事件は、以前紹介したドキュメンタリー映画
「ゆきゆきて、神軍」(1987日)でも語られていたが、極限状態に置かれた人間の飽くなき生への執着、死への恐怖が大きな見所となる。
今作には同名原作がある。そこで描かれているのは、原作者の戦争実体験が元になっているそうだ。戦争でこうしたカニバリズムが行われたというのはよく聞く話であるし、本当にあったのだと思う。映画を見終わった後にはズシリとした鑑賞感に襲われた。
尚、戦時中の出来事ではないが、アメリカにもカニバリズムを題材にした映画はある。実際に起きた雪山遭難事件を描いた「生きてこそ」(1993米)は割とメジャーな作品だろう。主演がイーサン・ホークだったとうこともあり、かなり話題にもなった。また、この事件を追いかけたドキュメンタリー映画「アンデスの聖餐」(1975ブラジル)という映画もある。
物語は、敗走する田村と周辺人物の絡みを織り交ぜながらサバイバルドラマのように展開されていく。正直、前半は余りにも淡々としているのでそれほど興味をそそられなかった。爆撃、現地人の銃殺、敵陣突破作戦等、いわゆる普通の戦争映画で、人肉事件という本題に中々入っていかない。一番知りたいのはそこであるし、映画のテーマもそれを描くことにある。しかし、前半は敗走する田村の姿をひたすら追いかけるドラマとなっていて、少しじれったく感じられた。
いよいよ後半からカニバリズムの話になっていく。ここからドラマは田村の葛藤を中心に描かれるようになって見応えが感じられた。
田村は戦場を敗走する途中で、空を眺め続ける痩せこけた老兵士に出会う。老兵士は鳥を「蝿だ‥」と言って自分の糞を食う。そして、自分が死んだら食っていいぞ‥と田村に腕を差し出す。戦争の‥と言うより飢えの狂気に呑み込まれてしまった憐れな老兵士の姿はショッキングだった。
その後、田村は前半に登場した永松と安田という兵士たちと再会する。この3人のやり取りは後半のドラマの大きなスパイスになっている。彼らは常に相手を出し抜いて自分だけ生き延びようと考えている。つまり、相手を”食って”でも生き延びようと虎視眈々と隙を狙っているのだ。そして、ラストでこの3人はとんでもない結末を迎えてしまう‥。
普通はこういったセンセーショナルな題材を映画にすると、どうしても見世物映画的な方向に走ってしまいがちである。怖いもの見たさを煽ってエンターテインメントに料理してしまい、結果、事件の真相に何も近づけない‥というようなことになってしまう。しかし、本作はこのラストが物語っているように、メッセージはあくまで「人間の尊厳」という所にある。これがただの見世物映画では終わらない、作り手側がこの題材に真摯に向き合っていることの証である。
監督は名匠・市川崑。事件そのものは非常に隠滅としているが、前半はブラック・ユーモアとシニカルなテイストがかなり主張されている。
例えば、田村は歩きすぎて靴がボロボロになると、死体から靴を奪って次々と履き替えていく。しかし、それもバカバカしくなってくると彼は靴を捨てて裸足で歩き始めるのだ。田村を演じた船越英二のとぼけた味わいもあるのだが、死屍累々と化した戦場を飄々と渡り歩いていく様は実にユーモラスだった。
生真面目な演出家ならば、悲惨一辺倒でゴリ押しするところを、市川監督はこのような独特のテイストで描いている。
キャストでは、やはり田村を演じた船越英二の演技が印象に残った。彼は終始、虚ろな目をしながらまるで夢遊病者のように戦場を徘徊する。決して感情を爆発させたり、狂気に苛まれたりせず、淡々とした演技で戦争を体験していくのだ。これが映画全体に独特のテイストを与えている。また、大幅に減量して役作りをした所にも見応えが感じられた。
後半のキーパーソンとなる永松を演じたミッキー・カーティスも面白い。演技が砕けすぎなきらいはあるが、彼独特の存在感がここでも良い方向に発揮されていて印象に残った。