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空気の無くなる日

仮説に基づいた面白いSF中編作品。
「空気の無くなる日」(1949日)星3
ジャンルSF・ジャンル特撮
(あらすじ)
 明治42年。北陸の小さな町では、1週間後にハレー彗星が地球に接近し、地上から5分間だけ空気が無くなるという噂で大騒動になっていた。小学校では生徒たちが息を止める練習を始めた。町では空気が入ったタイヤのチューブを求めて多くの人が自動車屋に駆け込んだ。宗教にのめり込む者。来るべき運命を静かに受け入れる者。町がパニックに陥る中、いよいよハレー彗星が地球に近づいてくる。

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(レビュー)
 ハレー彗星の接近によってパニック状態に陥る人々の姿をユーモラスに描いた群像ドラマ。
 今作は当時の児童文学書に掲載された小説を映画化した作品である。但し、原作は「空気がなくなる日」と「空気のなくなる日」、両方の表記が成されていた。現在では「空気がなくなる日」で統一されているようである。

 また、本作は元々は文部省選定作品として学校や公民館での巡回上映という形で製作された中編作品である。その後、1954年になってから一般に劇場公開された。そのあたりの所はwikiに詳しく書かれているので参照されたし。

 おそらくだが、各地を巡回するという上映形態から、最初は教育的な目的で製作されたのだと思う。噂に振り回されてはいけない‥という教訓。それを教えるために今作は製作されたのだろう。
 しかし、そうした教訓とは別に、今作は誰が見ても楽しめるようなエンターテインメント性も持っている。そこが配給会社に認められて一般公開に至ったのだろう。

 この映画は、言ってしまえばナンセンスなパニック映画である。ギャグとして見れば単純に面白い映画である。
 そして、その一方で鋭い風刺も感じられた。製作された時代を考えれば、人々の中にまだ戦争の傷跡が残っていたことは確かで、”ハレー彗星の接近”という得体のしれない現象に右往左往するドラマには当時の風潮が色濃く反映されているように思った。
 特に終盤、部屋に閉じこもって運命の日を待ち受ける人々を捉えたシークエンスには、空襲に備えて防空壕に逃げ込む戦前のイメージが重なって見えた。製作サイドがそこを狙っていたのかどうかは定かでないが、自分にはこれは戦争の悲劇を暗に投影した風刺映画のように見れた。

 ただ、そういった裏読みは出来るものの、基本的には学校や公民館で上映するために作られた教養映画であり娯楽映画である。パニックに陥る人々の姿をユーモアたっぷりに描いた所は、おそらく誰が見ても楽しめるだろう。

 傑作だったのは自動車修理屋のシーンである。空気の入ったタイヤのチューブを求めて大勢の人々が詰めかけるのだが、修理屋の主人は足元を見て1円20銭だったチューブに150円という高値を吹っ掛ける。いきなり値段が150倍にも高騰するのだ。後に日本は石油ショックでトイレットペーパーが高騰した歴史があるが、さすがにここまでは酷くない。商魂逞しいと言うか、がめついと言うか、このぼったくりには笑わされた。

 また、後半で、ユキオの家族が食事をするシーンが出てくる。ここには静かなペーソスが感じられた。普段はめったに食べらられない御馳走が出てきて一家はささやかな喜びに浸る。和気あいあいとした雰囲気に心が和むと同時に、彼らの最後の覚悟みたいなものが感じられて切なくさせられた。

 ちなみに、このシーンから、後の東宝特撮映画「世界大戦争」(1961日)の1コマも想起させられた。「世界大戦争」は核戦争によって地球が滅びるという終末映画である。その終盤で、死の運命を受け入れた主人公一家が最後に食事をするシーンが出てくる。シリアス度は違うが、今作のユキオたちの団欒のシーンに通じるものがある。やはり人間は、最後は愛する家族と一緒に過ごすのが一番なのかもしれない。

 尚、今作には東宝特撮のスタッフも関わっている。特撮シーンは序盤の天災シーンのみとなるが、今見てもしっかりと作られた合成映像で中々の見応えが感じられた。
[ 2014/03/06 00:42 ] ジャンル特撮 | TB(0) | CM(0)

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