透明人間の特撮シーンは見応えあり。
「透明人間」(1954日)
ジャンルサスペンス・ジャンル特撮
(あらすじ) 都内で透明人間のひき逃げ事故が起こる。新聞記者小松は、現場に残された手紙からもう一人の透明人間の存在を知る。そして、ナイトクラブのサンドイッチマンをしている南條という男を怪しんだ。南條は同じアパートに住む孤独な盲目の少女まりの話し相手をしている優しい男だった。その頃、巷では透明人間のギャング団による強盗事件が続発していた。
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(レビュー) 悲しき運命を背負った透明人間の孤独な戦いを描いたサスペンス作品。
本作は「ゴジラ」(1954日)の次に作られた東宝特撮映画である。見所はやはり特技監督・円谷英二が担当した特撮シーンとなる。
一番印象に残ったのは、透明人間・南條の見顕しのシーンだった。南條は普段はピエロの恰好でサンドイッチマンをしており決して他人に素顔を見せない。それが新聞記者・小松に追い詰められて、ついに正体を現す。ピエロのメイクを拭いて透明になるのだ。地味な特撮だが、これが映像的には中々のインパクトを残す。
ただ、それ以外の特撮となると今一つである。クライマックスの爆発炎上シーンは確かに派手だが、展開がかなり強引で萎えてしまう。そもそもピストルで遠くのコンビナート・タンクを爆発させるなんて、いくらなんでもありえないだろう‥。
物語は、透明人間・南條と盲目の少女・まりの情愛を中心に上手くまとめられていると思った。
目の見えないまりにとって南條は普通の優しいおじさんである。南條も彼女にだけは心を開いて自分を曝け出すことが出来る。孤独な者同士が心を通わせるシーンは、まるで「フランケンシュタイン」における怪物と少女のようである。これにはしみじみとさせられた。クリスマスのサンタクロースのネタもペーソスに満ちていて良かった。
その一方で、透明人間という存在から戦時の悲劇も見て取れた。製作サイドの狙いがあったかどうかは分からないが、明らかに透明人間は戦争がもたらした”負の遺産”以外の何物でもない。同年に製作された「ゴジラ」と同じ反戦的なメッセージが伺える。
尚、ここをもう少し深く掘り下げていければドラマは更に骨太になっただろう。しかし、今作はあくまでもプログラム・ピクチャーとして製作されたB級映画である。透明人間の存在を幻の部隊という扱いに終始した結果、ドラマ的な広がりは失われ薄っぺらい物となってしまった。そこは少し惜しいという気がした。