勝新主演の座頭市シリーズ最後の作品。
「座頭市」(1989日)
ジャンルアクション
(あらすじ) 市は知り合いの漁師を頼って銚子のとある漁村にやってきた。そこは五右衛門一家と赤兵衛一家が対立する荒れた村だった。五右衛門と赤兵衛は夫々に、村を監督する八州取締役に近づいて実質的な支配権を我が物にしようと目論んでいた。ある日、市は五右衛門一家の賭博場で大立ち回りを演じる。女親分・菩薩のおはんの取り計らいでどうにかその場は収まった。一方、赤兵衛は市の剣の腕に目を付けて彼を用心棒として迎え入れようとする。しかし、市はそれを断った。その後、市は凄腕の浪人と出会い意気投合する。彼は五右衛門一家の用心棒だった。
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(レビュー) 勝新太郎が主演した座頭市シリーズ第26作目にして最終章。今回は勝自身が監督・共同脚本を務めている。
前作「新座頭市 笠間の血祭り」(1973日)から大分間が空いての最終章である。このシリーズは「笠間の血祭」以降、1974年からTVに舞台を移して製作された。TVシリーズも好評を受けて第3シーズンまで続き1979年に終了する。それから約10年後、こうして「座頭市」は再びスクリーンに帰ってきた。
しかし、10年間というのは大変長いブランクである。その間、勝新太郎の身には様々なスキャンダラスな事件が起こっていた。アヘン所持による逮捕、黒澤明監督の「影武者」(1980日)の降板、自身のプロダクションの倒産等々。おそらく勝自身にとっても散々たる10年だったろう。正直、映画の製作どころではなかったように思う。しかし、一方でこのままでは終われないという強い思いもあったのだろう。そのままシーンから消えることなく、彼は自身の代表的シリーズと言っても良いこの「座頭市」をもう一度蘇らせたのである。
しかし、この映画でも不幸な事件が起こってしまう。真剣を使った撮影で死者が出してしまったのである。これがマスコミに取り上げられて、この映画は内容よりも別の所で話題になってしまった。せっかくの復帰作がまたしてもスキャンダラスな事件になってしまったのである。勝自身にとっても弱り目に祟り目である。
もっとも、これが奏功したのか映画はヒットを飛ばした。これも実に皮肉めいている。今作はこの年の邦画の興行収入では11億円。第7位という成績を残している。
映画の中味の方はこれまで通り「座頭市」らしい作りとなっている。ストーリーはお約束めいた物であるが、逆に言えば安心して見ることが出来る。
ただ、脚本の構成自体は決して良いとは言えない。五右衛門一家と赤兵衛一家の抗争劇を中心としたドラマに、市と浪人の友情ドラマが入ってくるという構成になっている。しかし、この二つが余り噛み合わない。正直、ストーリの芯がぶれているような気がした。加えて、おはんの立ち位置も今一つ不明瞭で、説明が足りない。
wikiによれば脚本の段階でかなりの試行錯誤があったようである。いずれにせよ、ストーリーはかなり乱雑で締りがないという印象を持った。
一方、アクション・シーンはクライマックスで大きな見せ場が用意されている。これにはかなり興奮させられた。時代の流れもあろう。1カットで見せる昔ながらの「座頭市」ではなく、鋭いカットで紡ぐスピーディーなアクション演出に切り替わっている。どことなくジャッキー・チェンの映画を彷彿とさせたりもした。
それにしても、撮影当時、勝新太郎は58歳である。この年齢でこれだけの殺陣が演じられるとは正に驚異的としか言いようがない。
そして、今回は緒方拳演じる謎の浪人が宿敵として登場してくる。市との勝負は最後の一斬りだけだが、交友を深めていく様を饒舌に演じている。また、市から借りた鏡で自身の顔を見るシーンが妙に印象的だった。一体、彼はそこに何を見たのだろう?
ちなみに、この映画には、このシーン以外にも鏡を使った演出が何度か登場してくる。鏡は人の心、内面と写す物とも言う。中々洒落た演出に思えた。
キャストでは他に、内田裕也が中々の存在感を見せつけていた。彼が演じる赤兵衛親分は、いわゆる手下を見殺しにするような卑小な暴君で、内田裕也にしか出せない独特の雰囲気が面白かった。
おはんを演じた樋口可南子も、荒っぽい男優陣に呑み込まれることなく、したたかな振る舞いで場をさらう好演を見せている。勝新との濡れ場も大胆に披露しており、この幽玄的な妖しさは印象的だった。