初期”ヤルセナキオ”劇場。
「鶴八鶴次郎」(1938日)ジャンルロマンス・ジャンル古典
(あらすじ) 三味線の鶴八と太夫の鶴次郎は、幼い頃から一緒に稽古をしてきた新内語りのコンビである。時々喧嘩もするが高座に出れば大喝采を浴びる人気者だった。そんな二人がついに大喧嘩をして決別してしまう。鶴八には事業家の松崎というパトロンがいたが、それに鶴次郎が嫉妬したのだ。その後、鶴次郎は番頭の佐平から新しい三味線弾きとして資産家の令嬢を紹介される。しかし、これがどうにも使い物にならなかった。仕方なく彼は鶴八と寄りを戻そうとするのだが‥。
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(レビュー) 新内節で人気を博す男女の恋模様を、ユーモアとペーソスを交えて描いた人情ドラマ。
原作は第1回直木賞を受賞した川口松太郎の同名小説である。それを名匠・成瀬巳喜男が流麗に描いた作品である。
今作の見所は何と言っても、主演二人の演技だろう。鶴八役・山田五十鈴、鶴次郎役・長谷川一夫。この両名のやり取りが面白い。
二人は幼い頃から一緒に芸の道を修業してきた、言わば兄妹のような間柄である。長い間、同じ時間を過ごしてきたことで、互いの短所も知り尽くしている。それがつい口から出てしまうと喧嘩になってしまう。
例えば、鶴次郎は度々、先代を引き合いに出して鶴八の三味線に色々と注文をつける。しかし、鶴八にもプライドがある。自分には自分の弾き方がある、と言って鶴次郎に反論する。こうしてたちまち喧嘩が始まってしまうのだ。周囲の興行主や番頭のおかげで何とかその場は収まるが、こうした喧嘩は二人の間では日常茶飯事なのである。
山田五十鈴、長谷川一夫のきびきびとした演技が、このつかず離れずの微妙な関係を飽きなく見せている。
そして、成瀬作品における男たちは「浮雲」(1955日)の森雅之に代表されるように、とにかく情けない男が多い。今作の鶴次郎も正にそうである。そして、これがこのドラマの肝になっていると思った。
正直な所、鶴次郎一人の力では今の名声は得られなかっただろう。やはり二人で一組の名コンビ。鶴八の三味線があるからこそ彼の太夫も活きてくるのだと思う。何だかんだと鶴八にケチをつける鶴次郎だが、実はその言葉の裏側には自分一人ではやっていけないという、彼女に対するコンプレックスのようなものが見えてくる。このあたりの鶴次郎の心理を想像しながら観てみると、このドラマは一層味わいが増してくるように思う。
そんな鶴次郎が下した最後の決断には涙させられた。実に奥ゆかしい愛の形を見せられた思いである。この時の成瀬の演出も冴えている。冒頭の伏線も見事に回収され、鶴次郎がおみくじに夢中になって足を突っ掛けるナチュラルな演出にもクスリとさせられた。
また、後半の1シーン。「鶴八」の名前が書かれたポスターで作られた船が川に流れていくショットも味わい深かった。それを見た鶴次郎役・長谷川一夫の何とも言えぬ表情には何とも言えぬペーソスが感じられた。
今作は90分弱という小品である。これだけのドラマを、よくぞここまで簡潔にまとめることが出来たな‥と感心させられた。ただ、その一方で、ここぞという所の"タメ″の演出が少し足りないという感想も持った。特に映画の終幕は「え?これで終わり?」というような唐突な終わり方になっていて、欲を言えばもう少し余韻に浸らせてほしかった。
尚、同原作は1956年に再映画化されている。そちらはビデオでしかリリースされていないので未見であるが、上映時間が2時間強もあるらしい。時間が長ければ良いというわけではないが、もしかしたら本作よりもジックリと物語が紡がれているのかもしれない。機会があればぜひ見てみたいものである。