実相寺監督が撮った三部作最終章。
「哥」(1972日)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルエロティック
(あらすじ) かつて巨万の富で繁栄の一途を辿った森山家は、世継ぎが途絶えその血筋を終えようとしていた。弁護士をしている長男・康は、仕事の方は順風満帆だったが、妻との関係が冷め切っていた。彼の助手をしている和田は女中の藤野と関係している。書生の見習いの下男・淳は、母の代からこの森山家に仕えていて、それゆえこの屋敷を愛していた。そんな森山家に各地を転々としていた二男・徹が戻ってくる。彼は康に所有する山林を売リ払って金に換えようと言うのだが‥。
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(レビュー) 実相寺昭雄監督が「無常」(1970日)、
「曼陀羅 」(1971日)に続いて撮った日本の内なる構造を描く三部作の完結編。
観念的な作りだった前作「曼陀羅 」に比べると随分と分かりやすい映画になっている。
ただし、終盤で淳に詰め寄られた徹が「この世のすべてが幻」と言い放つあたりは理解に苦しんだ。この言葉がこの三部作を通して実相寺が語りたかったメッセージであることは理解できるのだが、いかんせん話の流れから言って唐突過ぎる上に、全てを幻と言うあたり、ではお前は何なのだ?という突っ込みを入れたくなってしまった。前作のように終始このテーマがドラマに通底されているのならまだしも、今回の場合は行方不明になっていた旧家のドラ息子が、ある日突然皆の前に現れて口走るのだから、説得力も何もあったものではない。徹の日本観、人生観といったものがプレマイズされていれば、この言葉にもそれなりの重みが湧いてきただろう。しかし、今回はそれが完全に抜け落ちてしまっているため、どうしても共感できなかった。
尚、三作通してのテーマは共通している。かつての日本は終わってしまった。そして、後に残るのは過去の幻影。日本民族の躯だけ‥ということである。
日本という国そのものを、実にネガティブに捉えている。と同時に、やはりここでも、この先に訪れる未来については何も言及されていない。明るく希望に満ちた時代が到来するのか?はたまた、更に暗黒のような時代が訪れるのか?それは現代を生きる我々次第である‥という問いかけで幕を閉じている。
本作の見所はキャストの演技である。淳を演じた篠田三郎は、感情を押し殺したロボットのような喋り方で、母の代から仕える森山家の下男として、ひたすらこの旧家に忠義を尽くしていく。徹に「飯を食うな」と命令されれば、一切食事を口にしない。欲求不満の康の妻から誘惑されれば、それに従順に従う。これはかつての日本の封建社会、つまり前時代的な主従関係を表すものである。それを体現するのがこの淳というキャラクターである。かくして、彼は最後に非情の顛末を迎える。その鬼気迫る演技は実に痛ましく感じられた。
篠田に比べると引けを取る感じではあったが、他の役者もまずまずの好演を見せている。この三部作の大きな特徴にポルノ描写があるが、そこで見せる女中・藤野を演じた桜井浩子の、しどけない風情がエロチックで中々良かった。徹に金をせびりに行って逆にレイプされてしまうシーンのガーターベルトが妙に艶めかしかった。
実相寺の演出は今回も凝りに凝ったカメラアングルや不気味な照明効果で、非現実性を帯びた特異な画面でその場の緊張感、陰鬱感を見事に表現している。
今回はモノクロ映画なので、白と黒のコントラストが一つの見所となる。それが最も上手く反映されていたのが、徹が行きずりのカップルの絡みを何台ものカメラで撮影するシーンである。フラッシュを浴びることで絡み合った男女の肉体が瞬間的に浮かび上がってくる。この刺激に満ちた演出は素晴らしかった。
また、さりげないユーモアが所々に見られたのも面白かった。康と妻の不毛な愛を表した大人の玩具が一瞬だけ画面に映る。この悪戯心溢れる演出にクスリとさせられた。