当時の世相が垣間見れる怪獣怪作映画。
「ゴジラ対ヘドラ」(1971日)
ジャンル特撮・ジャンルアクション・ジャンル社会派
(あらすじ) 太平洋沖でタンカー沈没事故が相次いで発生する。その頃、海洋学者・山内教授の元にヘドロの海で捕れた奇妙な生物が持ち込まれた。早速、彼は近くの海で調査を開始し、そこで巨大な怪物を目撃する。その怪物は小学生になる山内の息子・研によって「ヘドラ」と名付けられ、マスコミに大々的に取り上げられた。その後、ヘドラはヘドロを吸って徐々に巨大化し工業地帯に上陸する。そこにゴジラが現れて二大怪獣の戦いが始まる。
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(レビュー) ゴジラシリーズ第11作。今回ゴジラと戦う怪獣はヘドロの海から誕生した異形の怪物ヘドラである。ドロドロとした姿は時間の経過と共に変形し、最後には飛行形態にまで進化する。それに対抗するかのように今作でゴジラは初めて空を飛んだ。
物語はいたってシンプルであるが、作りはかなり粗い。登場人物の関係が曖昧なまま進行したり、ヘドラの正体がたった一人の研究者によって解明されるという安易なドラマ運びに強引さを覚えた。
ただ、この映画の見所はストーリーよりも映像にあると思う。サイケデリックな映像演出が随所に登場し、シリーズ屈指の異色作となっている。
なんと言っても、オープニングからして強烈である。テーマソング「かえせ!太陽を」をバックにヘドロの海とナイトクラブが交互に映し出され、とても子供向けとは思えぬシュールな導入部となっている。しかも、このテーマソングの歌詞が凄い。曲調は明るいのに歌詞の内容が大変毒々しいのだ。このギャップが何とも言えぬ面白さを醸す。
更に、劇中には度々アニメーションが挿入されるのだが、これも見る者を不安に陥れるような作りになっている。何というか、公害の恐ろしさを問うた教育ビデオとでも言えばいいか‥。そんなシュールで怖いアニメになっている。
また、ヘドラは硫酸ミストを体内から放出するという武器を持っている。これが周囲の物を全て溶かしてしまうのだが、その描写が極めてホラー的だ。ヘドラが通った後には人骨が転がり、結構ショッキングである。
サイケ調なトーンで塗り固められた中盤のナイトクラブのシーンも印象的だった。踊り狂うヒッピーたちを延々と捉えながら、まるでドラッグでもやっているかのようなカオス感が渦巻いている。しかも、このヒッピー集団はクライマックスで富士山に登ってダンスパーティーを開催するのだ。100万人集会と意気込んでやってきたのに実際には100人程度しか集まらなかった‥というトホホな展開には失笑してしまったが、当時はノストラダムスの大予言が流行していた頃である。おそらく、彼らの行動はそれを反映しているのだろう。
このように様々な点で奇怪な作品なのだが、一番興味深いのは当時の怪獣映画ファンの間では今作はどのように受け止められたのか?ということである。大人はまだ良いとしても子供たちには、ついていけなかったのではないだろうか?
その一方で、ヘドロの海を怪獣誕生の起因としていることからも分かる通り、この映画は当時の公害問題がモティーフにしていることは間違いない。この社会派的なメッセージも、子供よりも大人の方にアピールしただろう。
監督・共同脚本は坂野義光。彼は長年、黒澤明作品等で助監督を務めていが、独立後にこの「ゴジラ対ヘドラ」を撮って名を挙げた。その後、彼はこれまた当時の終末思想が色濃く出た問題作「ノストラダムスの大予言」(1974日)の潤色を務めている。劇映画で前面に出たのはこの2本だけで、以降はTVを舞台にネイチャー・ドキュメンタリーなどを撮っていた。
そして、何とその彼が今年公開のアメリカ版ゴジラのプロデューサーを務めている。ゴジラ映画の特異点とされる本作の監督が世界に打って出たというのは何とも奇妙な話で面白い。