ホドロフスキー久々の新作は自伝的要素の強い家族ドラマ。
「リアリティのダンス」(2013チリ仏)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 1920年代、軍事政権下のチリ。厳格な父と優しい母と暮すアレハンドロは、純粋な心を持った少年だった。しかし、母に少女のような恰好をさせられ、それを父から忌み嫌われていた。父に無理やり町の消防団に入隊させられたり、行者の男から貰ったお守りを奪われたり、様々な理不尽な行為を受け、アレハンドロの心は荒んでいった。そして、そんな父には秘密があった。大統領を倒すべくレジスタンスのリーダーとして活動していたのである。
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(レビュー) 伝説のカルト映画「エル・トポ」(1969メキシコ)の監督A・ホドロフスキーが約24年ぶりに撮った新作である。独創的でシュールなストーリー展開、禁忌に挑むような過激な映像は、ホドロフスキーという名前を世界的に知らしめ、今なお多くのファンを獲得している。その彼が久しぶりに映画を撮ったというのだから、これは一つの事件である。彼のファンにとっては、正に待ちに待ってた新作と言うことが出来よう。
今回の映画はホドロフスキーの自伝的要素が存分に入った作品となっている。主人公の少年アレハンドロはホドロフスキー自身の幼少時代を投影したキャラクターであるし、周囲の家族関係、あるいは当時のチリの政治状況なども色濃くドラマの中に反映されている。そういう意味では、これまでのような寓話的な作りではあるのだが、どこか現実味が備わったドラマにもなっている。
例えば、強権的な父に対するアレハンドロの恐れ、学校での疎外感等が克明に記され、本人にしか分からない痛み、辛さといったものが手に取るように伝わってきた。地に足の着いた描写がそう思わせる。
その一方で、映画は父が起こす革命についても描いていく。ここなどは、さながらスパイ映画のようなサスペンスが追求され、エンタメ色がかなり強まっている。
このように次に何が飛び出してくるか分からないという面白さ、奔放さはホドロフスキー映画の一つの魅力のように思う。その独特なタッチは24年前と全然変わらっておらず、改めて異才の健在ぶりが確認できた。
ただ、映画は前半は少年アレハンドロの成長を描いたドラマ、後半は彼の父の戦いのドラマという風に大きく分かれている。1本の作品として見た場合、後半から明らかに違う物語が語られるようになるので、全体的に散漫な印象に陥ってしまう¥。
これは想像であるが、もしかしたらホドロフスキーは父性愛というものを描きたくてこの映画を作ったのではないだろうか。前半で”父に愛されたいと願う自分”を投影し、後半で”子を愛する父としての自分”を投影した。そうすることで全体を通して父性愛というテーマを突き詰めたかった‥。そんな風に想像できた。
こう考えると、この映画は子の視点と父の視点、二つの視点を使い分けながら父性愛というテーマを追求した‥ということになり、実はよく計算され尽くされた構成になっているという評価も出来る。
尚、個人的には、前半と後半、どちらがよりドラマチックだったかと言うと、やはり国の革命と父親の内面的な革命。それを呼応させた後半になる。先述した通りサスペンスが強調された所に見応を感じるし、父の改心が、ある場面において神示的に形而下され、あの傑作「エル・トポ」を彷彿とさせるからだ。
そして、国の革命を経て訪れるラスト。ここは感動的だった。こちらの期待を裏切らない想定内の締めくくり方ではあったが、ホドロフスキーはエンタテインメントの作家なんだということを改めて知らしめてくれる。世間的には小難しいアート系作家と言われるが、そんなことはない。彼は基本的に娯楽映画作家なのである。
各所に登場する映像は、ポップな物、残酷な物を含め、極めて見物小屋的醍醐味に溢れている。黒死病患者の群や、浜辺を埋め尽くす大量の死んだ魚、桟橋のダンス、母親による聖水浄化等々、例を挙げればきりがない。これらはホドロフスキーらしいガジェットである。障害者、死、セックス、バイオレンス、宗教等がふんだんに使われ、彼の過去作との関連付けから様々に解釈できよう。
色彩へのこだわりも随所に感じられた。まず何と言ってもアレハンドロのファッションがずば抜けて印象に残る。街並みも絵画のように彩られ、今回は全体的に色使いがビビッドである。まるでおとぎ話にでも出てきそうな美観は、ストーリーの寓話化を促進している。
キャスでトはアレハンドロ役の少年の佇まいが素晴らしかった。まるで少女のような容姿と初々しい演技で、この役柄の純真さを見事に表現している。父親、母親役の熱演も素晴らしい。また、本作にはホドロフスキーの息子たちがサブキャストで登場してくる。そして、今回はなんと監督本人も時々画面に登場してくる。少年アレハンドロを優しく見守る守護天使よろしく、その姿は実にお茶目だった。
一方、この映画で少し残念だったのは、予算と規制の問題である。後半の革命シーンなどは明らかに予算の少なさが分かるようなコスプレ芝居になっている。寓話的なテイストが貫かれているので決して違和感を覚えるほどではないのだが、もう少し映像的なカタルシスが欲しかった。
また、浜辺で少年たちが自慰行為にふけるシーンは張り型を使って撮影されている。こちらは規制が入ったのだろう。この映画は局部のボカシは場面によって入っていたり入っていなかったりする。それを考えれば、ここも当然本物の自慰シーンになるはずである。しかし、児童ポルノになる可能性があるということで道具を使うしかなかったのだと思う。ちょっと白けてしまった。もしどうしても写せないのであれば、映像のトリックでどうにでも誤魔化せたはずである。