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複製された男

ラストがトラウマになりそう‥。
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「複製された男」(2013カナダスペイン)星3
ジャンルサスペンス
(あらすじ)
 大学で歴史の講師をしているアダムは、恋人メアリーとの関係や仕事のことで、最近気分が沈むことが多かった。ある日、同僚に勧められた映画を見たところ、画面に自分とそっくりな男が写っていて驚いた。その男はアンソニーという端役専門の俳優だった。興味を持ったアダムは彼に接触を試みるのだが‥。

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(レビュー)
 自分と瓜二つの人間に出会った男が徐々に狂気に飲みこまれていく不条理ミステリー。同名原作の映画化で、監督は「灼熱の魂」(2010カナダ仏)で世界的な評価を得た鬼才D・ヴィルヌーヴ。

 何とも評価に窮する怪作で、このラストをどういう風に捉えたらいいか分からない。おそらく正統派なミステリーを期待すると肩透かしを食らうだろう。一応、冒頭の現実とも幻想ともつかない不思議なシーンがこのオチの答えを導くヒントとなっているが、確実にこれといった決定的な回答を導き出すことは難しい。非常に幻覚的な映画である。原作は未読だが、ラストはどうなっているのか興味がある。

 映画はアダムの視座で進む。彼は自分と瓜二つの俳優アンソニーの家を突き止めてコンタクトを取る。そこから二人は夫々の恋人、妻を巻き込んで悪夢のような体験をしていく。ざっくりと言うと、ストーリーはこんな感じで至極シンプルである。しかしながら、ドラマに忍ばされたテーマは大変深いと思った。

 そもそも、何故瓜二つの男が主人公なのだろうか?そこを考えると、このドラマのテーマは自ずと推察できる。要するに、本作は人間の”二面性”について描いた映画なのだと思う。
 アダムとアンソニーは容姿はそっくりだが、性格はまるで違う。アダムはどちらかというと神経質で大人しいタイプ。アンソニーは無神経でマッチョなタイプ。中味は全然違う。

 更に、彼らのパートナーについても興味深い要素が見て取れる。アダムの恋人メアリーはキャリアウーマンで割と奔放な女性。対するアンソニーの妻ヘレンは身重の女性で、アンソニーを包み込む母性の象徴のように存在している。同じ女性でもタイプは全然違う。

 4人の関係はストーリーが進むにつれて複雑に絡み合っていくようになる。人間の二面性が目まぐるしく交錯する所に、何か哲学的な問題が読み取れて、果たして最後にどんな結末が待ち受けているのか?興味深く追いかけていくことが出来た。

 しかしである。先述したように、この映画は最後の最後にとんでもないオチを持ってきて観客のこの興味を煙に巻く。普通に見ていたら、ここは賛否が分かれよう。自分も見終わった後には、何だか狐につままれたような釈然としない思いで席を立った。
 ただ、色々と映画に散りばめられていた物をパズルのピースのように組み合わせていくうちに、この映画のことが頭から中々離れなくなり、不思議と忘れられない作品になってしまった。蜘蛛、部屋の鍵、ブルーベリー、映画冒頭にクレジットされる”カオス”の意味。そうした物の意味が何だかモヤモヤと心に引っかかるのである。

 尚、ヴィルヌーヴと言えば、「灼熱の魂」で母性讃歌のメッセージを謳い上げ世界中から称賛を得た。また、日本未公開作「Polyrtechnique」(2009カナダ)では、実際に起こった銃乱射事件を題材に、やはり母性の強さが言明されていた。これらの作品をヒントに今回のヘレンの立ち位置を読み解いていくと、彼女の包み込むような愛情がいかにこの映画における大事なポイントとなっているかがよく分かる。
 つまり、今回も扱う素材こそ違うが、母性賛歌的なメッセージは確実にヴィルヌーブ監督の中にあると思うのだ。そして、それは冒頭に出てきた蜘蛛に象徴されているし、あの衝撃的なラストにも込められているような気がする。蜘蛛は何度もこの映画に登場してくる。それだけテーマに密接につながってくるアイテムだと考えられる。

 では、蜘蛛とは何のメタファーなのか‥だが、余談だが、以前観た映画で「蜘蛛女」(1993米)という作品があった。あそこには蜘蛛は出てこなかったが、ヒロインのしたたかで残酷な振る舞いには昆虫の蜘蛛を思わせる怖さがあった。蜘蛛は罠を張って餌を捕獲する生き物である。つまり、「蜘蛛女」という邦題には、男を絡め取るファムファタールとしての意味合いが込められているのだ。

 そして、今作に度々登場する蜘蛛にも、同様のファムファタール性は認められる。一般的に母性と言えば、慈悲深くて崇高なものと考えられている。しかし、人間の本来の生存本能が生殖行為にあるとすれば、女とは子孫を産むために男を絡め取る、実にしたたかにして計算高い存在とも言える。このことを暗に示したのが、蜘蛛なのではないだろうか。

 通り一辺倒に母性を美しいものとして解釈しなかった所が、この映画の面白さである。と同時に、その母性がいかに醜く恐ろしいものであっても、男にはとうてい抗えない魅力的な物である‥ということも読み解ける。これは、過去のヴィルヌーヴ作品における母性の絶対性というテーマに通じるよな所がある。

 キャストではアダムとアンソニー、一人で二役を演じたJ・ギレンホールの好演が光っていた。同じ容姿でも一目でどちらかが分かるように演じ分けられていて感心させられた。これが下手な俳優だったら、一体どっちの役を演じているのか分からなくなってしまうだろう。
 メアリー役を演じたM・ロランは相変わらず美しかった。今回も大胆なベッドシーンに挑んでいる。
 また、本作で久々にI・ロッセリーニを見た。彼女は何と言ってもD・リンチの傑作「ブルー・ベルベット」(1986米)での妖艶な演技が忘れがたい。今回はアダムの母親役として登場してくる。

 そう言えば、D・リンチで思い出したが、本作のシュールなテイストはどことなくリンチの作風に似ている。「ロスト・ハイウェイ」(1997米)のような狐につままれたような感じもあった。監督自身がどこまで意識ているのか分からないが、I・ロッセリーニの起用には、そんなリンチ映画への愛が感じられた。
[ 2014/08/20 23:24 ] ジャンルサスペンス | TB(0) | CM(0)

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