何でも透視できてしまう男の破滅のドラマ。
「X線の眼を持つ男」(1963米)
ジャンルサスペンス・ジャンルSF
(あらすじ) 視力回復の特効薬を開発していたジム医師は、自分を実験台にしてついに新薬を完成させる。ところが、それは強力な副作用も引き起こした。周囲の物が全て透けて見えるようになってしまったのだ。長年連れ添った助手ダイアンの引き留めも聞かず、ジムは病院を辞めて身を隠して生きるようになる。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) B級映画の帝王R・コーマンが製作・監督・脚色を務めたサスペンス映画。
コーマン製作の他の作品同様、これも”見世物”映画的なB級臭のする作品である。しかし、主人公ジムが人生を暗転させていく様、ラストの神示めいた幕引きは、見えない物を見たいという人間の欲望を皮肉的に表しており、どこか教訓めいたメッセージが感じられる。
個人的には、B・ランカスターの熱演が印象的だった「エルマー・ガントリー/魅せられた男」(1960米)を連想した。この映画は、しがないセールスマンだったエルマーという男が持ち前の弁舌で教会の教祖として祭り上げられていく‥という大変皮肉的な人間ドラマである。今作のジムもエルマー同様、神の力を身に付けたと思い込んでしまったがために、逆に神に滅ぼされてしまった憐れな男のように思う。
こうした強いメッセージ性は、本作を単なるB級見世物映画から、普遍的且つ質の高い娯楽映画に底上げしているような気がする。コーマン映画のほとんどは、時代と共に忘れ去られてしまうようなジャンル映画ばかりだが、この映画はそれらとは少し違う映画で、中々奥深い作品だった。
ラスト以外にもう一つ、この映画で忘れられない場面がある。それは、場末の見世物小屋に身を落として千里眼の男として活躍するジムの元に、病におかされた老婆が訪ねてくるシーンである。彼女はジムの評判を聞きつけて、自分の身体を見て欲しいと頼む。早速、ジムは彼女の身体を透視するのだが、すでに重度の癌におかされていることを知る。しかし、本当のことを言わずに彼女を安心させて帰してやる。これは見世物小屋のパフォーマーとしてでなく、一人の人間として出た”憐れみ”だったように思う。まるで世捨て人のように生きる彼の心の中にも、まだ人間らしい心が残っていたのか‥ということが分かり、しみじみとさせられた。
今作は映像も特徴的である。ジムの主観のカット(周りの物が透けて見える)が何度か登場してくる。これが時代を感じさせるようなサイケデリックなトーンで面白かった。エンドクレジットの映像も然り。彼の主観映像で終わる。これが実に不穏なトーンで切り取られており、ジムにはこういう風に周囲の世界が見えていたのか‥ということが分かり、何とも言えない余韻を残す。
一方、低予算のB級映画ということで、突っ込み所も幾つかある。
まず、一つ目はジムが親友の医師を窓から突き飛ばして殺してしまうシーンである。撮り方が余りにも適当なせいもあるのだが、どうしても不自然に写った。そもそも、部屋の窓があんなに簡単に壊れたら危なすぎて住めやしない。
もう一つは、ジムがカジノへ行くシーンである。ギャンブルは所詮運である。それが透視できるというだけで、あんなに都合よく勝てるものだろうか?ここは大いなる突っ込み所だった。
ジム役を演じるのはレイ・ミランド。彼の代表作は何と言っても、重度のアルコール中毒患者を熱演した「失われた週末」(1945米)であろう。彼はこれでアカデミー賞主演男優賞を獲得した。今回の役も常に狼狽しきった表情を貫き、基本的には「失われた週末」とほとんど変わらない演技となっている。
「失われた週末」以降、彼は様々な映画に出演したが、結局その後は本作のようなB級映画を中心に活躍するようになった。俳優は一旦イメージがついてしまうと、そこから抜け出すのは中々難しい。演技は非常に熱度が高く、中々の二枚目だったので、もっと幅広いジャンルで活躍して欲しかった俳優である。