女の性の旅を描く問題作後編。
「ニンフォマニアックvol.2」(2013デンマーク独仏ベルギー英)
ジャンル人間ドラマ・ジャンルエロティック
(あらすじ) ジョーは再会したジェロームと幸福な暮らしを始めた。ところが、ある晩セックスの最中に突然不感症になってしまう。次第にジェロームとの関係は疎遠になり、夫婦生活は破綻していった。そして、ジョーは”快感”を取り戻そうと異常な性愛にのめり込んでいくようになる。
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(レビュー) 大胆な描写で女性の性編歴を描いた大作「ニンフォマニアック」2部作の後編。
ここからジョーは本格的に破滅の道を歩んでいくようになる。とはいっても、彼女が淫欲の世界にひたすら溺れていくだけなので、vol.1に比べるとドラマはかなりシンプルである。最後の第8章「銃」を除けば、ある種見世物小屋的な作りが徹底されており、ドラマのアップダウンは少ない。それゆえvol.1を見て期待した自分にとって、このvol.2は少々物足りなかった。
さて、彼女が不感症になった理由は、劇中でははっきりとは明示されていない。したがって、ここは想像するほかなく、そこがこのvol.2の面白さだと思う。長い間無茶なセックスをしてきたことから来る精神的なストレスなのか、子供を授かったことによる女から母への覚醒なのか、色々と想像できるが、自分は次のように解釈した。
ジョーは思春期時代に仲間とセックス・クラブを作った。そこでは、一人の男と2度以上セックスしてはならないという決まり事がある。何故かというと、愛という感傷を引きずってしまったら奔放に男と遊べないからである。だから、彼女たちは愛という物に徹底的に反発し、純粋に身体的快楽のみを追求していった。
そこから考えると、ジョーが初恋のジェロームと愛を育むというのは、彼女のこれまでの生き方と相反することである。長い間愛のないセックスをしてきた彼女の身体は、愛を拒むように作られている。だから、愛のあるセックスをしようとすると快感を得られないのである。純粋に快楽のみを求める彼女の身体的機能は、ジェロームとの愛によって崩壊してしまったのだ。
その後、ジョーは精神と肉体のバランスを欠き、失われた快楽を取り戻すべく倒錯的な性の世界へと溺れていくようになる。見知らぬ黒人とのセックス、SMプレイ、犯罪への傾倒。飽くなき淫欲の追及が赤裸々に描写され、その数々には確かに圧倒されてしまった。ただ、先述したように、見世物小屋的な面白さはあるが、ドラマ的にはそれほど面白いわけではない。何しろジョーの転落がひたすら続くだけなので、ドラマが停滞する。
ただ、その中から確実に一つのテーマは見えてくる。これは監督のラース・V・トリアーが、これまでもずっと追い続けているテーマである。”愛は罪である”というテーマだ。
それが最もよく出ているのが最後の章となる第8章「銃」である。ここでジョーはPという孤児に出会い、彼女の母親代わりになっていく。これはジョーの純粋な母性から生まれた愛ではなく、闇社会に生きる者としての打算だった。しかし、やはりそこは心を持った人間である。一緒に暮らしていくうちに次第にPに情がうつっていく。ジョーは、かつて淫欲の世界にのめり込んで我が子を失った過去を持っている。その後悔があるのかもしれない。彼女はPに失った母性、つまり愛を再び注ぐようになっていく。
しかして、この愛はまたしてもジョーに皮肉的な運命を背負わせることになる。これは母が子を捨て、拾われた子が母に復讐を果たすという輪廻のドラマとも言える。”愛は罪である”というテーマが自ずと浮かび上がってくる。
実に不幸な結末であるが、根っからのペシミスト、ラース・V・トリアー監督ならではのネガティブな愛の捉え方である。
また、このvol.2ではジョーのドラマだけでなく、彼女の話を聞くセリグマンの方にもドラマが用意されいる。彼は実はジョーとは正反対の人間、身も心も清い人間だったということが分かってくる。つまり”聖人”だったというわけである。その”聖人”がラストで”ある行動”に出る。こういう結末を予想してなかったわけではないが、見ていて唖然とさせられた。大変人を食ったオチであるし、元来現実主義者であるトリアーらしい締め括り方で、見てて思わずニヤリとしてしまった。意地の悪い結末である。
尚、このvol.2から、回想のジョーはvol.1のステイシー・マーティンではなく、現在のジョー役S・ゲンズブールに切り替わる。2人は外見上決して似ているわけではないので、このキャスト移行はかなり不自然に写った。このあたりは演出の工夫でカバーできれば良かったのだが、トリアーはそのあたりはかなり無頓着である。ただ、ゲンズブールと言えばこれまでにもトリアー作品で体当たりの演技を見せてきたミューズである。ここでも見事な熱演を見せており、これには圧倒されてしまった。
セリグマン役のS・スカルスガルドの演技もvol.1に続き堅実だった。少しユーモアを忍ばせた所が中々心憎い。
また、トリアー作品の常連ウド・キアーも登場してくる。但し、こちらは1シーンのみの出演で少し残念だった。
同様に、W・デフォーもそれほど出番は多くない。確かに彼らしい闇の組織の首領という役所ではあったが、彼本来の魅力が十分引き出せているとは言えず、少し勿体ない使われ方をしてしまった印象である。
もっとも、今回鑑賞したのは完全版よりも1時間も切り詰められた短縮版である。そのしわ寄せが編集やサブキャラの描き方に行ってるのは間違いなく、できることなら完全版でそのあたりの真価を見極めてみたい‥という気持ちにもなった。