今最も注目されている俊英ドランの新作は寒村を舞台にしたサスペンス。
「トム・アット・ザファーム」(2013カナダ仏)
ジャンルサスペンス
(あらすじ) モントリオールの広告代理店で働くトムは、同僚で恋人のギョームの葬儀に出るために彼の実家を訪れた。彼の実家は農場を経営しており、母アガットと兄フランシスが住んでいた。アガットはトムを歓待するが、フランシスは何故かトムを邪険にし、弔辞を読んだらさっさと帰るよう脅した。しかし、トムは葬儀で弔辞を読めなかった。寂しい葬儀になってしまったことでアガットは更に悲しみに暮れた。それを不憫に思ったフランシスは、もう暫くトムにここに留まるよう命令する。
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(レビュー) 亡き恋人の実家を訪れた青年の恐怖をスリリングに描いた異色のサスペンス作品。
製作・監督・脚本・編集・主演はカナダの新鋭グザヴィエ・ドラン。日本では
「わたしはロランス」(2012カナダ仏)で一躍注目を浴び、その後に処女作
「マイ・マザー」(2009カナダ)、「胸騒ぎの恋人」(2010カナダ)と立て続けに過去作品が上映された。ドランは今最も波に乗ってる若手監督の一人と言っていいだろう。しかも、彼は外見も中々のイケメンで、自作に度々主演もする。
尚、彼のこれまでの作品は全てオリジナルの脚本だった。それが今回は初めて原作が付いている。元々は戯曲らしいが、それでもこれまでの作品に通じるような設定、テーマが読み解けたことは興味深い。
ドランは自分がゲイであることを公言している。そのことは「わたしはロランス」の中にも投影されていた。そして、ここでも彼が演じるトムはギョームと同性愛の関係にある。表立っては語られていないが、それとなく読み取れるニュアンスは至る所に散りばめられており、今回の作品にも自己はハッキリと投影されている。
そしてもう一つ、処女作「マイ・マザー」からも分かる通り、ドランにとって母親という存在は実に苦々しい存在、生きる上での大きな障壁とされている。この母親観は、今作におけるアガットとフランシスの関係に読み取れる。母と息子との関係。これもドラン作品を語る上で欠かせない大きなテーマと言っていいだろう。
以上、2つの点を知っていると、今作は中々面白く見ることが出来る作品だ。
ただ、前者に関しては、セリフによる説明がないため見ていて気付かない人がいるかもしれない。何故町の人々がそっけないのか、何故フランシスがトムに辛く当たるのか。このあたりは作品単体で見た場合は少々分かりづらい。基本的にドランの創作スタンスは”私的”な表現から始まっている。それを知っていれば、ゲイというマイノリティに対する偏見、弾圧であることはよく理解できるのだが、初見の場合はちょっと分かりづらいかもしれない。
もう一つの母との関係というテーマ。これは、フランシスとアガットの関係に見ることが出来る。
例えば、前半の食事のシーン。フランシスはアガットに突然平手打ちをされる。何も言えずしょんぼりとするフランシスの姿には母への畏敬の念が読み取れる。
また、中盤の母屋のシーン。フランシスはトムに対して、アガットを仕方なく面倒を見ているというような告白をする。母の呪縛から解放されない息子の葛藤。それがこの告白から読み取れる。
ドランの演出は、今回は少し毛色を変えてきたという感じがした。
物語の全貌を容易に明かさないミステリアスな語り口は、サスペンス的な面白さを狙った物であり、これまでにない面白さを感じた。牛の搾乳、小牛の出産、死骸といったガジェットも映画に異様な雰囲気をもたらし中々秀逸だった。
惜しむらくは、サラの登場によって、それまで築き上げられた緊迫感が失われてしまった事だろうか‥。トム、アガット、フランシスという3人の緊密なドラマがここで弛緩してしまった。彼女の登場はトムの話の中だけに留め、とことん3人の関係に迫るような作劇にすれば更に濃密なサスペンスになっただろう。
ラストはなるほど‥と思えるようなオチだった。これをオチと言えるかどうかは賛否あるかもしれないが、監督の言いたいことは、この”エンディング”にすべて集約されているように思った。つまり、ドランはアメリカという国に表現者としての憂いを感じているのだろう。その心情は歌詞を聞くとよく分かる。
ただ、それまでの”私的”な映画から一転、政治的なメッセージに突然傾倒してしまった感は否めない。そういう意味では、釈然としない思いも残った。