実在したFBI長官の半生を綴った社会派人間ドラマ。
「J・エドガー」(2011米)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 1919年、司法省に勤務していたフーバーは、長官の家が左翼過激派に爆破されたことをきっかけに赤狩りに執念を燃やすようになる。その後、彼は新設された司法省捜査局の長官代行に任命された。そこで彼は秘書のヘレンに出会いプロポーズする。しかし、仕事に生きる彼女はそれを断った。フーバーの心は酷く傷ついたが、彼女の熱意に共鳴し自分も仕事に邁進することにした。そんなある日、クライドという若き青年が捜査局の面接にやって来る。フーバーは彼を気に入り自分の右腕として登用していくのだが‥。
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(レビュー) FBI初代長官ジョン・エドガー・フーバーの半生を綴った社会派人間ドラマ。
フーバーはFBI創設の立役者で、約50年という長きにわたり長官を務めた人物である。劇中でも語られている通り、彼の功績は色々とある。まず、何と言っても科学捜査の手法を初めて取り入れたことは大きい。彼はこれによって政治テロやマフィアの撲滅に多大な効果を上げた。そして、彼は街を浄化するヒーローのようになっていった。
映画は、そんなフーバーが強大な指導力を発揮していく過去と、権力のしがらみによって職務の座から失墜していく現在を交互に描いている。現在パートの方は速記者に自分の半生を告白しながら展開され、過去パートの方はその告白に沿って描かれる回想ドラマとなっている。
本作のメインとなるのは過去パートの方である。フーバーという人物の内面がじっくりと掘り下げられていて、実に興味深く見ることが出来た。
彼は元々エリートの出身で、司法省でも順調に出世コースを歩んだ。その仕事振りは常に完璧で妥協がない。その手腕が買われてFBIの初代長官に就任した。
その一方で、プライベートでは母と二人暮らしで、親友や恋人を持たず生涯独身を貫いた。要するに人付き合いが下手だったのである。ただ、そうは言っても、仕事ではパートナーと呼べるような仲間がいて、それが今作にも登場する秘書のヘレンと部下のクライドである。フーバーは彼らだけには仕事の相談をしたり悩みを打ち明けたりしながら、他とは一線を越えた関係を築いた。しかし、それもあくまで仕事上だけの関係である。実際には本当の自分を曝け出すことが出来なかった。
このようにフーバーは表向きはFBIのヒーローとして人々から多大な称賛を得たが、その裏では孤独なアウトローだったのである。この光と影にフーバーの生き様が見えてくる。月並みな言い方かもしれないが、人生の数奇が感じられた。
監督はC・イーストウッド。現在と過去を巧みに繋いで見せながら無理なくドラマに統一感をもたらした手腕は見事である。中でも、競馬場のシーンは、落ちぶれた現在と栄華を極めた過去。この二つを呼応させることで人生の数奇を皮肉的に見せていて中々ドラマチックだった。イーストウッドの演出は近年高く評価されているが、今回も安定していた。
また、映像の完成度もかなり高い。今回はノワール・タッチが目立ち、どちらかと言うとクラシカルな映像作りが施されている。当然これはドラマの時代背景を意識したイーストウッドのこだわりなのだろう。
そして、これには撮影監督トム・スターンの仕事ぶりが奏功している。彼はここ最近、イーストウッドとずっとコンビを組んでいる。作品の傾向によって映像のトーンはまちまちだが、今回のような画作りは彼の感性に合っているのかもしれない。これまで見てきた作品よりも映像のトーンが一回り主張されていると感じた。
古きアメリカを再現したプロダクション・デザインも素晴らしい出来栄えで感心させられた。同監督作
「チェンジリング」(2008米)に通じるような完璧さで、作品の世界観にリアリティをもたらしている。
キャストではフーバーを演じたL・ディカプリオの熱演が印象に残った。晩年の老けメイクに一瞬違和感を持ったが、見進めていくとそれも徐々に慣れてくる。声質、所作などを微妙に変えながら時代の変遷を見事に表現している。ただし、メイクを施したせいか、晩年の表情が今一つ乏しかったのは残念である。
ところで、イーストウッドは何故、このフーバーの半生を映画にしようとしただろうか?映画を見ながら色々面白く想像できたので書いてみたい。
FBIと言えば、ある種アメリカにおける警察権力の大きな象徴だと思う。そこで長官を務めたフーバーもまた、アメリカ特有のマッチョイムズの象徴だと言える。そして、アメリカは今や”世界の警察”を自負する大国となった。国際紛争への介入など、その独善的なやり方は各国から批判を浴びている。FBI長官として剛腕を振るったフーバーも然り。そのやり方には賛否があった。アメリカという国とFBI長官フーバー。自分には途中からこの二つがダブって見えてしまった。
かつて「許されざる者」(1992米)でアメリカのマッチョイムズに鋭く切り込んだイーストウッドである。当然今回の作品にも、現在のアメリカを皮肉的に投影しているのではないかと想像する。
これはフーバーという権力の象徴を通してイーストウッドが作った、もう一つのアンチ・アメリカの映画なのではないか‥。そんな風に思えた。
尚、今作を見て「リンドバーグ事件」の裏側を知れたのも面白かった。映画を見終わって興味が湧いたので色々と調べてみたが、事件の真相については今だに謎とされているそうである。
また、この事件によって成立された「リンドバーグ法」も、改めて調べてみると中々興味深い。これはFBIの捜査権力を拡大させる法律で、その成立にはフーバーの推進が働いていたと言われている。本来、警察権力は法律の元に執行されるべき物だと思うのだが、これではまったく逆である。今では考えられないことであるが、自分たちに都合のいいように勝手に法律を変えてしまった所に当時のFBIの強大さが伺える。これは実に怖いことだと思った。