時代の空気が嗅ぎ取れる青春映画。
「星空のマリネネット」(1978日)
ジャンル青春映画
(あらすじ) 暴走族のリーダー・ヒデオは、峠を走っていた時に他の暴走族と喧嘩をして入院してしまう。病院で腐っていた所に友人のヒロシが見舞いにやって来た。ヒロシは医者の息子でヒデオとは正反対の人生を歩んでいる青年だったが、何故か彼のことを慕っていた。しばらくしてヒデオが退院する。しかし、かつての仲間は彼の元から皆離れて行き、彼は独りぼっちになっていた。そんなある日、ヒデオは喫茶店でアルバイトをしているアケミという少女と出会う。
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(レビュー) 若者たちの刹那的な生き様を渇いたタッチで描いた青春映画。
実にやるせない終わり方をする作品である。明らかにアメリカン・ニューシネマの影響を受けたラストで、当時の若者たちはこれが格好良いと思ったのだろう。個人的には「イージー・ライダー」(1969米)のエンディングと重なって見えた。
本作は、ヒデオという一人のイジけた青年がただひたすら暴走するだけのドラマであり、見ようによっては何とも冷めた感想で一蹴できてしまいそうな代物である。ただし、彼の不幸なバックボーンについて色々と考えてみると、そう安易に扱ってはいけない作品とも言える。
ヒデオの不幸は幼少時代の母の死から始まる。その死に様は余りにも壮絶で言葉が出ないほどだった。こんなのを見せられたら誰でもこたえるだろう。これはヒデオの心に相当大きなトラウマが植え付けたに違いない。その後、彼は父と暮すようになる。しかし、たった一人の肉親でありながら、二人の生活は実に空疎で暗い。顔を合わせても知らんぷり。必要以上にコミュニケーションを取らない。何とも冷め切った関係である。
こうした家庭環境を考えてみると、ヒデオが辿ってきた荒んだ人生には幾ばくかの憐憫の情も湧いてしまう。自暴自棄的にしか生きられなかった理由というのも何となく分かってきて、「イージー・ライダー」よろしく惨めで刹那的な彼の人生の幕切れには少し哀愁を覚えた。
今作にはヒデオの他に二人の若者が登場してくる。こちらもヒデオ同様、荒んだ青春を送っている。
まず一人目は、ヒデオの親友ヒロシである。彼は裕福な医者の一人息子で、ヒデオに比べたら随分と恵まれた環境にある。しかし、それは外見だけで、その出自はヒデオの家庭環境同様、かなり複雑である。ブルジョワ一家によくある話と言えばそれまでだが、彼の暮らしにはまったく愛が無いのである。家の中に居てもヒロシの心は虚しいばかり。当然、彼は家から出たがるようになる。そして、暴走族のリーダーとして自由気ままに生きるヒロシに出会い彼に憧れる。やがてその憧れは同性愛的な感情へと膨らんでいく。
もう一人はアケミという少女である。彼女は喫茶店でアルバイトをする、あっけらかんとした今時の少女である。彼女はヒデオにナンパされて付き合い始める。ところが、これがヒデオとヒロシの関係に亀裂を入れてしまう。ここに男女3人の愛憎が生まれ、以降の物語にロマンス要素が配分されていくようになる。
そのクライマックスとも言える中盤、ヒデオとアケミの仲を嫉妬したヒロシがシンナーを吸って入水自殺をするシーンはとても印象に残った。静寂な川面に流れていくヒロシの真っ白なシャツが何とも言えぬ悲しみをもたらす。
そして、物語は後半からヒデオの父が絡んできて更にショッキングな愛憎劇に突入していく。
ある晩、ヒデオは自慰行為をする父の後ろ姿を偶然目にしてしまう。ヒデオはそれを不憫に思ったのか、父に恋人のアケミを差し出してセックスをさせるのだ。この心理は自分には理解できなかった。ヒロシの死のこともあり、この頃のヒデオとアケミの間には、もはやかつての愛は無くなっていた。しかし、そうだとしても仮にも自分の恋人であるアケミを長年憎々しく思っていた自分の父親に抱かせるだろうか?この展開は自分の予想の遥か斜め上をいく超展開で、見ていて一瞬「え?」となってしまった。
その後のヒデオの行動を考えるに、彼はアケミを捨てて全てを空っぽにして自分の人生にケリとつけようとしたのかもしれない。あるいは、父にアケミを抱かせることで、彼の心に一生のしこりが残るような傷を付けようとしたのかもしれない。このように幾つか想像はできるが、いくら考えてみてもこれという確証は得られない。それを読み解く作業はこの映画が残した最後のミステリーのように思えて実に興味が尽きなかった。
このように若者のネガティブな感情が全編に渡って渦巻く本作は、終始悶々とさせられる作品である。ただ、自分自身の命や愛する人さえも放げ出すヒデオの生き様には、当時の無気力な若者たちが投影されていることは間違いないように思う。それは当時の藤田敏八監督が撮った数々の青春映画などにも色濃く反映されている。
あの頃の若者が何を思い、何に憧れ、何に反発していたのか?それを垣間見ることが出来ると言う意味では、今作は時代の証憑として興味深く見れる作品ではないかと思う。