シュールで過激な恋愛映画。
「反逆次郎の恋」(2006日)
ジャンルロマンス・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 気が弱くて何をしてもダメな孤独なセールスマン次郎は、ある日工場勤務の女・倫子と出会う。いつも仕事をサボってタバコを吸っている彼女に奇妙なシンパシーを覚えた。倫子の方もそんな次郎を気に入り2人は同棲生活を始める。ある日、二人はピクニックに出かけることになった。そこで次郎は恐ろしい光景を目撃してしまう。これがきっかけで二人の関係はぎこちないものとなっていく。
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(レビュー) 俊英・石井裕也監督の長編2作目。劇場作品ではなくビデオ用として製作された作品である。
前作
「剥き出しにっぽん」(2005日)と同じく、小さな田舎町を舞台にしたミニマムなロマンス作品である。但し、今回はかなり”毒”が効いているので好き嫌いがはっきり分かれるだろう。特に、後半で次郎たちが遭遇する凄惨な事件、それをきっかけとした愛憎劇の顛末。このあたりは、見る人によっては嫌悪感を覚える人がいるかもしれない。自分はある種ホラー的な怖さを覚えると同時に、ラストの余りの衝撃に打ちのめされてしまった。確かに石井監督の初期時代の短編作品にはこういうブラックなテイストが度々登場していた。そこから考えると、今回の猛毒振りは当然と言えば当然なのかもしれない。
映画前半は初々しい恋愛ドラマで進行していく。見てるこちらが、はがゆくなるような脱童貞のドラマになっていて、このあたりは前作同様、微笑ましく見れた。
物語が中盤に入ってくると、それまでの平穏がある事件によって突如として崩壊する。森へピクニックに出かけた次郎と倫子が、その先で凄惨な光景を目撃してしまうのだ。映画はこから一転、スリラー・テイストに切り替わり二人の恋愛は破綻へと向かっていく。
どうして二人の恋が終わらなければならなかったのか?それは見終わっても正直分からなかった。次郎はこの事件をきっかけに徐々に奇行に走るようになり、倫子はそんな彼を理解できずどんどん心が離れて行ってしまう。この時の次郎の心理に一体どんな変化があったのか?死という究極のエロティズムに惹かれてしまったのか?映画を見てても最後まで理解できなかった。
しかし、だからこそこの純愛の果てに訪れる理不尽なラストには衝撃を覚えてしまう。これは、いわゆる<愛>というものに対する強烈なアンチテーゼではないだろうか。
世間一般で言われている<愛>は、大体は”温もり”や”癒し”といったポジティヴなニュアンスで使われることが多い。しかし、<愛>とはそんなに一括りに割り切れるものではないと思う。<愛>は時に人を残酷にするし、時に人生を破滅へと追い込んでしまうこともある。<愛>と<憎しみ>は表裏一体である。人は孤独ゆえに愛するが、同時に相手を憎むこともできる動物である。本作のラストを見るとこの事を痛感させられる。そして、改めてタイトルの「反逆次郎」の意味を噛みしめたくなる。
石井監督の演出は今回もオフビートなタッチが貫かれている。ただ、前作のような笑いは少な目で、逆に不安や恐怖といったものを表現するために援用されているような気がした。現在の作品に比べると決して完成度が高いわけではないが、荒削りな所が良い意味で面白い。
主要キャストは石井作品のインディペンデント時代の常連で揃えられており、もはや知った仲という感じである。中でも次郎を演じた内堀義之はその強烈な外見も相まって強く印象に残った。誰からも相手にされない非モテ特有の屈折した求愛を、幾ばくかの狂気を忍ばせながら上手に演じている。
また、ヒロイン・倫子のヤンキー振りも中々に板についてた。
他に、次郎の友人としてインディーズ・バンドのミュージシャンが登場してくる。これが後半で意外な役回りを見せ、中々面白い存在になっている。また、倫子の元カレの女々しさにはクスリとさせられた。
一方、低予算な小品の割に、不要に思うシーンが幾つかあった。
例えば、劇中には次郎の先輩社員が二人登場してくる。彼らは自分たちのことを棚に上げて、仕事の出来ない次郎をいじめて鬱憤晴らしをしているダメ社員である。本編には彼らのやりとりが複数回登場してくるが、これは無駄に思えた。出社してこなくなった次郎の部屋を訪ねるシーンも不要である。
また、宇宙服を着た男が度々登場してくるが、これが最後まで謎だった。確かに面白い存在ではあるのだが、果たして何のために出てきたのか‥。余りにもユニークなのでかえって始末におえない。完全にストーリーの邪魔になってしまっている。