奇抜な設定で描く風刺劇。
「ローマ法王の休日」(2011伊)
ジャンルコメディ・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) バチカンで新しいローマ法王の選挙が行われる。選ばれたのは無名の枢機卿メルヴィルだった。法王になれば重大な責任を伴うことになる‥。誰もが心の中ではなりたくないと思っていたのである。メルヴィルは早速、新法王の誕生を待つ多くの聴衆の前で演説することになった。しかし、余りのプレッシャーに押しつぶされて倒れてしまう。翌日、彼はセラピストの診断を受けた。しかし、そんなものでは何の気休めにもならなかった。困り果てたバチカンのスポークスマンはローマで一番の精神科医を探してお忍びで診断してもらうことにする。その帰り道、メルヴィルは失踪してしまう。
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(レビュー) 新しく選ばれたローマ法王の逃避行を、時にコミカルに時にシニカルに描いた人間ドラマ。
お膝元であるイタリアでは一体どんな風にこの映画は受け止められたのだろうか?洒落と割り切って楽しんだのか?それとも不謹慎と言って怒ったのか?天下のカトリック教会の内幕をバカバカしくも愉快なコメディに仕立て上げたのだから、中々挑戦的な映画だと思う。
ドラマ自体は至ってシンプルである。
コンクラーヴェ、いわゆる法王選挙で半ば押し付けられるような形で法王にさせられてしまった小心者のメルヴィルが、様々な出会いと別れを経験しながら自分の人生を見つめ直していく‥という人間ドラマになっている。
ローマ法王と言えば、世界の注目を一身に浴びる最重要人物である。学校の生徒会長や会社の社長とはわけが違う。選ばれたら人生最高の栄誉であるが、その重責を考えると拒みたくなる気持ちも何とな分かる。
そんなわけでメルヴィルは法王の座を押し付けられてしまうのだが、しかし考えてみれば、天下のカトリック教会が大して能力がない、どちらかと言うと他人の影に隠れがちな小心者の人間に最重要職を押し付けていいものだろうか?果たして実際にこんなことがあるのか?‥という突っ込みは当然出てくる。
もっとも、今作は基本的にコメディなわけで、そこに突っ込みを入れても仕方がない。逆に、コメディとして割り切ってしまえば、これはかなりユニークな発想とも言える。皮肉も十分効いていて面白い。
映画はほぼ全編、メルヴィルの視座で進行する。彼のストレスが延々と綴られるので、見てて決して胸のすくような話ではないが、中盤から徐々に彼の苦悩が解消されていく所は注目したい。身分を隠して名も知らぬローマ市民と交流することで、彼の心は平穏を取り戻していくのだ。実にウィルメイドに作られたコメディで後半からは楽しく見れた。
ただ、この映画は単純にメルヴィルの視座に限定されるわけではなく、合間合間に彼を診断するカウンセラーの視座も混入されている。このカウンセラーは実に能天気で、患者であるメルヴィルの失踪もどこ吹く風。バチカンの中で枢機卿たちとバレーをしたりトランプをしたり、高額な診療代を貰っておきながら適当に遊んでばかりいる。はっきり言うと、彼はこの切迫した状況において何の役にも立っていない。
個人的には、このカウンセラーのシーンは不要に思えた。メインであるメルヴィルのドラマをいたずらに遮るだけで散漫である。
尚、このカウンセラーを演じているのは、今作で製作・監督・共同脚本を務めているN・モレッティである。モレッティは、よく自身の作品に出演しているが、今回ばかりは出しゃばりすぎ‥という気がした。演技自体は決して悪くはないのだが、ドラマを語る上で決して必要というわけではない。もう少し出番を抑えて欲しかった。
ラストは秀逸だと思った。これは実に予想外のオチである。
結局、このドラマのテーマは、信仰心を取るのか、人間らしく生きるのか?その『選択』のように思う。結果的に、メルヴィルは、自分に正直に生きる方を選択した。人の人生は誰にも決められない。自分自身が選択するものである。そのことをこのラストは真摯に語っていると思った。モレッティのヒューマニズム、体制に対するアイロニーもよく表れている。
尚、劇中にはチェーホフの戯曲「桜の園」の舞台が登場してくる。この戯曲を知っていると、今回のドラマはより楽しめると思う。また、邦題の「ローマ法王の休日」は、名作「ローマの休日」のパロディである。こちらも元ネタを知っていれば、より深く楽しめるだろう。