D・クローネンバーグの初期作品。
「ステレオ/均衡の遺失」(1969カナダ)
ジャンルSF・ジャンルサスペンス
(あらすじ) 近未来。テレパシーによる交信を研究をしている施設の中で7人の人間を使った人体実験が行われていた。ある日、彼らのうちの一人が自分の頭にドリルを刺して自殺してしまった。彼らは夫々に意思の疎通を止めて自分の殻に閉じこもるようになっていく。
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(レビュー) 異才D・クローネバーグが製作・監督・脚本・撮影を兼ねて自主製作したSF作品。彼が初めて監督したモノクロの中編作品である。
判然としない登場人物たち、簡素なナレーション、殺風景な画面等、いわゆる娯楽性を鼻っから否定したアート作品である。
クローネンバーグの頭の中には描こうとしているイメージはハッキリとあるのだろう。しかし、それを視覚化する表現技術や予算的な部分が追いついていないのが、見ていて何とも歯がゆい。
とはいえ、そうしたマイナス面を補うべくアイディア。特に、この物語の舞台となる近未来感あふれる研究所の佇まいは素晴らしかった。ドライでシュールな本作の雰囲気を上手く出している。彼のファンであればこれだけでも一見の価値がある。
例えば、迷路のような廊下、どこまでも続く通路、同じロッカーが並ぶ部屋、奇妙なオブジェが飾られる部屋等々、画面の背景に出てくる異様な美術には思わず見入ってしまう。例えるなら、ジャン=リュック・ゴダール監督のSF作品「アルファビル」(1965仏伊)や吉田喜重監督の不条理劇
「煉獄エロイカ」(1970日)といった感じだろうか‥。モダンアートな美術背景がこの映画の魅力の大半を担っていると言っても過言ではない。
また、今作はナレーションが全てを説明する、言わば”モキュメンタリー”のような作りになっている。被験者達に一切セリフが無く、そのせいで誰一人として感情移入することはできない。ただ、この突き放した”語り”が、社会から隔離されて、まるでモルモットのように扱われる被験者たちの不安、孤独感を見事に表現するに至っている。こういう奇抜な演出も、おそらくクローネンバーグの狙いだったのだろう。彼は実にドライな感性を持った作家である。
演出で見事だと思ったのはラスト・シーンだった。男女の被験者のすれ違いで終わるのだが、一部でスローモーションに切り替わる。この時、彼らはどう思ったのだろうか?その葛藤が、かすかに想像できて面白い。実に意味深で、作品を見終わった後に色々と考えさせられた。
またその直前、彼らが向かい合ってコーヒーを飲むシーンがある。ここも面白い演出をしているな‥と思った。女性の顔をコーヒーカップ越しに煽りで捉えたショットが出てくるのだが、明らかにカップの大きさが尋常でないくらい大きい。おそらくわざわざ大きなカップを作って撮影したのだろう。トリック映像と呼べるまでの水準に達していないが、この遠近感を狂わせたショットは面白い。まるで彼女が巨大なカップに頭をうずめているような、不思議な映像になっている。