鬱屈した青春ドラマに心を痛めつつ‥。
キングレコード (2013-01-11)
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「苦役列車」(2012日)
ジャンル青春ドラマ
(あらすじ) 1986年。青年・貫多は、日雇いの肉体労働で稼いだ金を家賃より先に酒と風俗に使いながら自堕落な暮らしを送っていた。ある日、職場に専門学生の正二が入ってくる。年も近いこともあり2人は意気投合する。やがて貫多は正二に協力してもらいながら、秘かに想いを寄せる古本屋の女性店員・康子と友達になる。こうして貫多は人並みの青春を謳歌し始めるのだが‥。
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(レビュー) 自堕落な生活を送る孤独な青年が夢と希望に憧れながら、やがて挫折していく青春映画。芥川賞を受賞した私小説家・西村賢太の同名ベストセラーの映画化である。
ユーモラスな場面もあるのだが、基本的にはシリアスな青春談である。主人公・貫多の鬱屈した人生に、俺などは何となく60年代~70年代のATG映画のような懐かしい臭いを嗅ぎ取ってしまうのだが、今の人たちが見たらどのように思うだろうか?6畳一間で暮らす貫多の姿が貧乏臭く映るかもしれない。しかし、敢えてそれを今の時代に表現するという所に奇妙な面白さを感じた。原作は西村氏の自伝的要素が入った小説である。
ただ、確かに時代錯誤の中で描かれる青春ドラマはかなり面白く感じたのだが、いかんせんリアリティという点では、いささか物足りなさを感じてしまった。劇中の時代背景は1980年代後半である。映画に流れる空気感が、あの当時の時代性からは程遠く、このあたりの背景作りをもっと徹底してくれれば更に良かったと思う。
例えば、正二と彼の恋人のファッション、会話の中味等から、一応それなりの時代性は伺えるが、物語の展開が割と貫多の周辺に寄せているので世界観が狭い。時代背景をもっと強く主張させても良かったのではないだろうか。
もっとも、製作サイドはこれを普遍的なドラマにしたくて、敢えて時代性をそれほど強調しなかったかのかもしれないが‥。
いずれにせよ、貫多の”ろくでなし”振りは、見てて放っておけないような危なっかしさがあり、つい手を差し伸べたくなってしまう。その一方で、こんな奴が隣に居たら余り近寄りたくないなぁ‥というような面倒くささもあり、一言では言い表せない魅力が感じられた。
そして、貫多のバックストーリーを考えてみると、彼がどうして今のような”こじれた”性格の人間になってしまったのか?というのも何となく理解できる。
貫多の父親は性犯罪者で、それによって一家は離散してしまった。犯罪者の息子というレッテルを貼られた彼は生きる希望を失い、中学を卒業すると同時に家を出て日雇い人足の仕事に入る。そして、友達も恋人も作らず、6畳一間のオンボロアパートに住みながら、酒と風俗通いに明け暮れるようになってしまったのだ。
このように、そもそも元凶は彼の幼少時代にある。ある意味では、今のような暮らしは、なるべくしてなった‥という言い方が出来るかもしれない。
本作は、この貫多の徹底したダメっぷりが実にリアルに描けていて、そこが面白い。これは演じる森山未來の熱演も大いに貢献していると思う。
例えば、序盤。コップ酒を飲んで道路でゲロを吐くシーンがある。森山は片方の鼻を抑えてもう片方からゲロを噴き出すのだが、この演技は芸が細かい。普通であればゲロを吐いて終わりである。しかし、彼はその先の演技までしっかりと演じることで、貫多のダメっぷりを表現している。
あるいは、職場の食堂でどんぶり飯にソースをかけてガツガツ食う演技。もうこれだけで貫多という人間の人となりが分かってしまう。粗雑で幼稚、人前で格好をつけるようなことをしない。ある意味ではマイペースな人間であることを強烈に印象付けている。これでは女になどもてないだろう。
極めつけは後半。正二に誘われて彼の女友達と一緒に酒を飲むシーンがある。正二たちが仲良く喋っている傍で退屈を持て余した貫多は酔っぱらってそのまま寝落ちしてしまう。‥と思いきや、やおら起きて正二の女友達に対して罵詈雑言の嵐、憎まれ口を叩くのだ。しかも鼻水と唾を飛ばすほどのテンションで‥。今で言えば「リア充爆発しろ」的な恨み節であるが、森山はこの醜態を今作一番のテンションで演じて見せている。ダメ人間の境地を見た思いで、正直感服してしまった(笑)。
一方、貫多と友達になる正二の方は、爽やかで人当たりの良い好青年である。貫多とのキャラクター・ギャップが上手く効いていて、それだけに益々貫多が惨めに見えてしまう。しかも、貫多からすればたった一人の友達である彼が、最終的には離れてしまう結末。これが実に残酷で泣けてしまう。おそらく正二にとって、貫多は大勢の友達の内の一人でしかなかったのであろう。貫多からすれば余りにも不憫な結末である。
そして、この映画にはもう一人、貫多と同じように日雇い人足でしか食っていけないダメ人間が登場してくる。それが高橋という中年男である。彼は歌手になる夢を諦めて、家族を養うために仕方なく今の仕事を始めた、言わば人生の墓場に片足を突っ込んだオッサンである。今となっては歌手の夢も思い出の片隅にしまわれている。
しかし、そんな彼が一瞬だけ輝きを見せるシーンが中盤に出てくる。それがカラオケ・スナックのシーンである。彼は貫多の前でマイクを掴んで演歌を熱唱するのだ。この時の高橋の表情は実に格好良かった。失われた夢を再び追い求める中年男の”決意”が感じられた。そして、その”決意”は終盤で彼に一花咲かせることになる。
彼の人生も実に数奇に満ちていると思う。貫多との関係から言えば、彼は今作の重要なサブキャラの一人と言っていいだろう。尚、この高橋役は、今や多方面で様々な活躍を見せるマキタスポーツが演じている。彼の粗野な演技も中々に良かった。
一方、今作で残念だったのは2点ある。一つは貫多が昔の彼女と再会するエピソードである。これは全体のドラマから言えばそれほど重要なエピソードではない。これを挿入したことによって、ドラマがやや停滞してしまったのは勿体なかった。
もう一つは演出上の問題である。貫多が正二の顔を空に思い浮かべる演出が陳腐で残念だった。
尚、終盤は少し変わった演出で締めくくられている。賛否はあるかもしれないが、個人的には意表を突いた演出で面白かった。
原作者の西村賢太氏はこの映画を余り好意的に思っていないようである。現に幾つかのメディアでそう語っている。その理由の一つに、今作の貫多がまるでコミュ障のようにしか見えない‥ということを挙げている。このあたりは受け取り方次第であろう。ただ、自分も見ながらずっと同じことを思っていた。俺が思うくらいなのであるから、原作者なら尚更そう思うだろう。原作は未読なので、そのあたりのキャラ付けはどのようになっているのか分からないが、当時はコミュ障という言葉は無かったはずである。もしかしたら、意識的に今の時代に合わせて、この映画ではそのようにキャラ付けされているのかもしれない。