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セッション

アツい音楽青春映画!
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「セッション」(2014米)星5
ジャンル青春ドラマ・ジャンル音楽
(あらすじ)
 偉大なジャズドラマーを夢見て名門シェイファー音楽院に入学したニーマンは、ある日、フレッチャー教授の目に止まり、彼のバンドにスカウトされる。自信と期待に胸膨らませるニーマンだったが、フレッチャーの過酷な指導は想像を絶していた‥。

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(レビュー)
 プロのジャズドラマーを目指す青年と彼を指導する音楽教師の対立を緊張感みなぎるタッチで描いた音楽青春映画。

 ジャズはまったくの門外漢なので、ここに登場する楽曲や演奏の素晴らしさを全て理解できているとは言い難い。しかし、純粋に1本の映画として見た場合、画面から伝わってくる熱量のハンパなさは、近年見た中では圧倒的であり、見終わった後には何とも言えぬ充実感に満たされた。
 音楽を通して心が通うとか、音楽が人生を幸せにするとか、そんな甘ったるさはこの映画にはない。むしろ、音楽は人を破滅させることもあるし、憎しみを生むことだってある、本当は恐ろしいものなのだ‥ということを、この映画で教えてもらったような気がした。

 そして、ジャズをモティーフにした映画ではあるが、より普遍的にこのドラマを解釈すれば、これは父と子の葛藤の物語ではないかという気がした。
 ニーマンとフレッチャー、夫々のバックストーリーを紐解いていくと、彼らの関係は興味深く見れる。

 ニーマンは教師をしている父と二人暮らしで、母は離婚して不在である。彼の父は見るからに凡人で、ごく平均的なサラリーマン・タイプの中年男である。そして、ニーマンは父とそれほど親密というわけではない。それは、人生の負け犬である父に尊敬の念を持てないからであろう。ここからニーマンのバックストーリーには”父性”が欠けている‥という見方が出来る。むしろ、この父はニーマンを温かく包み込む”母性”のように存在している。

 一方のフレッチャーは、劇中ではプライベートの描写が一切ない。今作はニーマン視点のドラマなのでそれも当然である。それゆえ彼の背景については想像するほかないのだが、しかし何となくは分かる。おそらくフレッチャーは家族という物を持たない人物だろう。そもそも音楽の求道者たる彼にとって、家族とは邪魔な物、不要な物でしかない。ただ、血の繋がった家族は持たなくても、家族と呼ぶに等しい物はあり、それが彼の生徒達である。しかも、彼の音楽を深く理解し音楽の世界で成功した者だけが家族であり、落伍した者はただの赤の他人である。しかして、映画を見る限り、彼が求める生徒=家族は未だ現れていない状況にある‥という事が分かる。ここから、フレッチャーは生徒に家族(息子)を求めた男だった‥という見方が出来る。

 尚、映画の後半で、フレッチャーを追い詰める”ある事件”が発生する。この事件は実に象徴的だ。何故なら、彼の大切な家族の喪失を意味するものだからである。

 このように見てくると、ニーマンとフレッチャーの間には自ずと疑似父子的な関係を重ねて見ることが出来る。
 だから、自分にとってこの映画は音楽映画という以前に、子が父を乗り越える青春映画としての面白さが感じられた。

 とはいえ、音楽は今作の魅力の大きな下支えとなっている部分である。
 現に、クライマックスの演奏シーンには目が釘づけになった。裏切り、裏切られを繰り返してきた二人の戦いがどこへ向かっていくのか?果たしてニーマンはフレッチャーを超えることが出来るのか?実にスリリングで興奮させられた。
 と同時に、これは二人の戦いの、ほんの始まりに過ぎないのではないか‥という感想も持った。かなり歯切れよく終わるので、エンドロールを見ながらその後の二人の戦いをあれこれ想像してしまった。この余韻もまた味わい深い。

 監督・脚本はこれが初監督作となるデイミアン・チャゼル。フィルモグラフィーを見ると、これまでは主に脚本の仕事をしてきたようで、今作で監督デビューらしい。音楽はテンポが大事であり、それだけに演奏シーンの演出センスも問われてくるが、初演出ながら非常に上手く作られていると思った。演奏の緊迫感にも並々ならぬ力量が感じられる。ただ、少々劇画チックになってしまう箇所があるので、そこは好き嫌いが出てくるかもしれない。

 また、特筆すべきは編集である。これが演奏シーンの迫力を作り出している。実に素晴らしかった。

 キャストの奮闘も忘れられない。特に、フレッチャーを演じたJ・K・シモンズの圧倒的存在感は、映画全体を支えていると言っても過言ではない。大体によって、この強烈なビジュアルは、かのキューブリックの戦争映画「フルメタル・ジャケット」(1987英)におけるリー・アーメイを想起させる。人格無視の罵詈雑言の数々で生徒たちを徹底的に管理しようとする所も一緒だし、武骨で冷酷な面構えの迫力たるや、ほとんど人間の形相を成してない。まるで心を持たない悪魔のようであった。
 一方、ニーマンを演じたマイルズ・テラーの熱演も素晴らしかった。手から血をしたたらせながらのドラミングは見てて痛々しいほどだった。

 尚、今作を見て、以前紹介した「ペーパー・チェイス」(1973米)という映画を思い出した。あちらは一流大学をを舞台にした文科系映画、こちらは音楽大学を舞台にした体育会系映画である。タイプこそ違え、教師と生徒の戦いをどこまでも突き詰めた所は一緒である。ただ、終幕がまったく異なる所が面白い。時代の差だろう。向こうは70年代のモラトリアムの空気感を反映させた締めくくり方だったのに対し、こちらはどこまでも戦って、戦って、戦い抜くという終わり方になっている。今の時代、そうでもしないと這い上がることは出来ない‥という厳しさを突き付けられているような気がした。
[ 2015/06/05 01:45 ] ジャンル青春ドラマ | TB(0) | CM(0)

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