人間とバケモノの疑似親子愛をファンタジックに描いたアニメ。
「バケモノの子」(2015日)
ジャンルアニメ・ジャンルファンタジー・ジャンル青春ドラマ・ジャンルアクション
(あらすじ) 両親が離婚したことで孤独に陥った少年れんは、渋谷の街を宛てもなく彷徨っていた。そこで異形の姿をした大男と出会う。彼、熊徹は、渋谷の街にありながら、決して交わることのないバケモノの世界“渋天街 (じゅうてんがい)”からやって来たバケモノだった。どこにも行く所がなかったれんは、熊徹を追って渋天街に迷い込む。そして、九太と名付けられ彼の弟子になった。そんな熊徹は目下、渋天街を治める宋師の座をかけてライバル猪王山と争っていた。しかし、彼は粗暴な性格ゆえ、誰からも慕われないはぐれ者だった。
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(レビュー) 孤独な人間の少年がバケモノの弟子になって修行に励みながら、やがて自分の生きる道を探し出していくファンタジー・アニメ。
監督・原作・脚本は、今やポスト宮崎駿の呼び声も高い細田守。本作は前作
「おおかみこどもの雨と雪」(2011日)以来、4年ぶりの新作となる。
前作は獣の血を受け継いだ子供を育てる母親のドラマだったが、そのエッセンスは今回の作品にも伺える。バケモノの熊徹と人間の子供・九太の疑似親子愛、青年に成長した九太がバケモノの世界と人間の世界のどちらに自分の居場所を求めるか葛藤する所。このあたりは完全に「おおかみこどもの雨と雪」の焼き直しと言える。また、九太と楓が出会う図書館のシーンも、そっくりそのまま「おおかみこどもの雨と雪」からの流用に思えた。
というわけで、今回の作品は前作と微妙に重なる部分があり、両方並べてみると面白い発見が見つかるかもしれない。
ただ、前作との共通点が見つかる一方、やはり今作には今作ならではのオリジナリティも感じる。男親と女親という違い、血の繋がりの有無。この2点は前作には無い今回の新味だった。
熊徹と九太は師弟関係であると同時に、いわゆる疑似親子関係にもなっていく。ただ、熊徹は師としても親としても半端者で、とても九太を育てるほどの器ではない。むしろ、九太の方がしっかりしており、これではどちらが保護者か分からなくなるくらいで、この関係は丁度、前作における母子の関係とは逆転している。母性を持つ母親と、そうでない父親の性差が感じられた。
前作とのもう一つの違いは血縁の有無である。熊徹と九太の間には血の繋がりはない。これが二人の絆の浅さに関係しているように思った。
九太は人間世界に実の父親を置いてきており、青年に成長した彼は実父に会いに行く。前作は親元から子供が巣立つドラマだったのに対し、今回は子供が親の元に帰ってくるドラマになっている。これは言い換えれば、血縁を選ぶか(実父)、そうでないか(熊徹)という問題である。前作とは別の角度から、親子の絆、血縁という問題を捉えた所が新鮮だった。
尚、後半の1シーン。九太が実父の招待を突っぱねるシーンは印象的だった。育ての親(熊徹)と実父との間で揺れる彼の葛藤がひしひしと伝わってきた。
こうした親子関係、疑似親子関係のシリアスな営みを描く一方、今作はエンタテインメントとしてのサービスも充実している。
例えば、熊徹と九太のユーモラスなやり取りは大変面白く見れた。先述したように、どっちが大人でどっちが子供か分からない凸凹コンビ振りが笑いを誘う。
また、彼らを取り巻く周囲のキャラクターの賑々しい佇まいも味があって良かった。包容力のある百秋坊は九太にとって母親のように存在し、多々良は気さくな近所の伯父さんのように存在している。九太はこうした”疑似家族”に囲まれてすくすくと成長していく。その光景が実に清々しく見れた。
また、今回は熊徹に格闘家としてのキャラクターが付与されており、そのためアクション的な見せ場もふんだんに用意されている。渋天街の支配をかけて対立するライバル猪王山との戦いは迫力があった。熊徹に鍛えられた九太が渋谷の街を舞台に繰り広げる後半のアクション・シーンも大いに興奮させられた。
モブの描写も見事である。例えば前半、熊徹と猪王山が市場で戦うシーンがある。ここに登場する野次馬は普通であれば止め絵でもいいのだが、一人一人微妙に揺れている。後半の闘技場の観衆も然り。このあたりの、こだわりの作画にはスタッフの苦労がしのばれる。
このようにドラマの狙い、エンタテインメントのサービス精神。この二つが見事なバランスの上で成り立っている所に、次代を担う作家・細田監督の才能が感じられる。彼は今後、益々日本アニメを代表する作家になっていくだろう。
と、ここまで褒めておいて何だが、ここから少し苦言を呈してみたい。
確かに本作には一定の満足度を覚えたのであるが、反面、深みのあった前作との比較。あるいは、作品としての完成度について考えてみると物足りなさも覚えてしまう。細かい点を見ていくと、幾つか疑問に思う所がある。
例えば、九太が序盤で出会う白い小動物。アレは一体何だったのだろうか?劇中では最後まで謎のままだった。九太が死んだ母を幻視する際に、必ずこの小動物がいたので、あるいは母の転生とも考えられる。しかし、あのような形をした動物、はっきり言って珍種を見た楓が驚かないのはどう考えてもおかしい。
第二に、一郎彦のキャラクター造形である。彼の素性には”ある秘密”があるのだが、それを隠すという意味では今回の造形はいただけない。どう見ても最初からモロばれである。結果、クライマックスでの見顕しもインパクトに欠けた。
第三に、人間がバケモノの世界に立ち入ってはならない理由に今一つ説得力が感じられなかった。人間は闇を抱える生き物だというのは理屈では分かるのだが、ではバケモノにはそれがないのだろうか?見ている限りでは、バケモノも人間もほとんど変わらぬ習慣、文化で生活を送っている。中には随分と性悪なバケモノもいたが、そういった連中も含めて本当に闇を一切溜め込まないのであろうか?全てのバケモノが闇を抱えることなく生きるというのであれば、人間との差別化を明確にして欲しい。見ている最中ずっとこれが頭の片隅に疑問として残ってしまった。
更に、細かい点を挙げれば切りがない。渋谷の爆発を報じるニュースが余りにも軽すぎること。九太が急にバケモノの世界と人間界を往来できるようになったこと。楓の心の闇にもっと迫ることで、九太に対するシンパシーをもっと掘り下げられることができたのではないか‥等々、幾つか不満が出てきてしまう。
厳しい言い方になってしまうが、今回の映画は理詰めで見てしまうと、かなりノレない作品だと思う。
声優陣は概ね安心して聞けた。いずれもベテラン俳優、しかも声優経験の俳優で固められている。ただ、青年期の九太を演じた染谷将太は少し滑舌が悪く、ちょっとだけハラハラさせられた。それがナチュラルっぽくて良いのかもしれないが、周囲のベテラン陣に比べると若干頼りなく感じられた。