人生の指標をどこに求めるのか?前作のテーマを更に推し進めたP・T・Aの野心作。
東宝 (2013-09-20)
売り上げランキング: 51,605
「ザ・マスター」(2012米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 第二次大戦終了後、PTSDで除隊した元海兵隊員のフレディは、職を転々としながらアルコールに依存する日々を送っていた。ある日、いつものように酒に酔った彼は、港で停泊中だった船にこっそり乗り込む。そこでは新興団体ザ・コーズを率いるドッドの娘の結婚式が開かれていた。フレディはドッドに気に入られ団体に迎え入れられると、彼の右腕として頭角を現していくようになる。
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(レビュー) 戦争帰還兵が新興団体の長(マスター)に取り込まれていく異色の人間ドラマ。
監督・脚本はP・T・アンダーソン。前作
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(2007米)で壮大な人間ドラマを描いた氏が、今回は新興宗教の実態とそこにうごめく人間模様を真正面から描いている。
思えば、前作のラストは、ある種賛否の分かれるような描かれ方だったが、そこには明確に”信仰”に対する氏の痛烈なアイロニーがあった。「ゼア・ウィル~」は原作物だったが、今回はオリジナル脚本である。おそらくP・T・Aとしては、前作のラストを受け継ぐ形で今回の作品を映像化したのだろう。再び新興宗教を題材に持ってきた所が興味深い。
今作の主人公フレディは戦争の後遺症、いわゆるPTSDによって半ば屍のような状態で帰国する。そこで新興団体を率いるドッドと知り合う。ドッドはファミリー経営でこの団体を盛り上げてきたカリスマである。フレディは彼に信奉し、新たな生きがいを見つけていくようになる。
ドッドの振興団体は、いわゆるカルト宗教のような組織であり、傍から見ればかなり胡散臭い。映画を見ていると、どうしてフレディがそんな所に自分の居場所を求めたのか今一つ共感を得られないが、追い詰められている人間とはそういうものなのだろう。こればかりは当人にしかわからない。悲惨な戦争を体験し、アルコール依存症になり、恋人と破局し、人生のどん底を味わった者でなければ、彼の心理を本当に理解することは難しいだろう。安穏とした暮らしを送っている者には、まるで絵空事のようにしか思えない。それどころか、まるでコメディのように写ってしまう場面さえある。
例えば、ドッドが提唱する”プロセシング”という問答だが、これなどは果たしてどこまで真面目に見ていいのか分からない。プロセシングとは、悩める相手に自分の過去を反芻させ、その根本的な問題を見つけさせる‥という、一種のカウンセリング療法のようなものである。しかし、これが傍から見ててかなり胡散臭い。本当にこんなやり方でその人の悩みは解消されるのだろうか‥と思った。第一リアリティがまったく感じられない。
もっとも、P・T・Aが本作で信仰の不確実性を訴えたいことは確かであり、この何とも珍妙な儀式”プロセシング”を敢えてリアリティの無いものとして描いたのは、彼の確信的犯行という見方も出来る。どんな物にも正解がないのと同じように、宗教にだって”絶対”はない。だからこそ、宗教はいつの世も”危ういもの”として存在し続けている。P・T・Aが敢えてこの新興団体をインチキ臭い物として描いたのは、前作の「ゼア・ウィル~」同様、アイロニーに他ならないのだと思う。だから、見る人によっては、本作はコメディのように思えてしまうのである。自分はドッドの新興団体に取り込まれるフレディを見て怖さを感じると同時に、奇妙な可笑しさも覚えた。
映像は、前作「ゼア・ウィル~」同様、かなり完成度が高い。ダイナミックな場面転換を用いながら、ドラマチックな演出が追求されている。
例えば、デパートからキャベツ畑に移り変わるシークエンス、広大な砂漠からドリス邸への場面転換。このあたりは単に時間の経過を羅列するだけでなく、フレディの波乱に満ちた人生をドラマチックに見せることに主眼が置かれている。ダイナミックなシークエンス表現に舌を巻いた。
また、結婚式場のシーンに見られるように、均整化された建築物とそこで行われる祝祭の喧騒という、無機と有機の混在もかなり面白い画面だった。前作から引き続いて多用されるシンメトリックな画面構図も然り。P・T・Aの映像に対するこだわりは今回も至る所で冴えている。
更に、今回特に印象に残ったのは、冒頭の海辺のシークエンスである。BGMの奇妙さも相まって、そこで行われている行為がまるでこの世の物とは思えぬ幻想性を発揮していた。
キャストの演技も見応えがあった。
フレディを演じたJ・フェニックスの熱演には、ここ最近の低迷ぶりを払拭するほどの迫力が感じられた。撮影当時の彼はプライベートで様々な問題を起こして、半ば”自虐”を売りにした、お騒がせ芸能人にまで落ちぶれていた。そんな彼にとって今回の主演は正に一世一代をかけた再起である。元々ポテンシャルは高い俳優なので、本来であればこのくらいの演技は可能だったのだろうが、それにしても今回の熱演には目を見張るものがあった。
他に、ドッドを演じたP・S・ホフマンのペテン師のような佇まいも中々堂に入っていて印象に残った。