こんな神様イヤだ(笑)!
「神様メール」(2015ベルギー仏ルクセンブルグ)
ジャンルファンタジー・ジャンルコメディ
(あらすじ) 神様はパソコンで世界を操り、人々の生活を面白半分に引っかき回して楽しんでいた。10歳の娘エアはそんな父に反発し、父のパソコンで全人類にそれぞれの余命を知らせるメール送信してしまう。そして兄イエス・キリストのアドバイスを受け、人間界に降りて6人の使徒を探す旅に出る。
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(レビュー) 神様の娘が起こす軌跡をファンタジックに綴った作品。ベルギーの鬼才ジャコ・ヴァン・ドルマン監督の最新作である。
ドルマンと言えばブラックでシニカルな作品を撮る監督としてよく知られている。今作も随分と”ぶっ飛んだ”設定で、一体どんな映画になっているのか?期待して鑑賞した。結論から言うと、確かに彼の作家性が前面に出た快作となっている。しかし、過去作と比べると映像は非常にキュートな作りで、メッセージもポジティヴ。誰が見ても楽しめる作品に仕上がっている。現実と幻想の境目を取り払ったり、時間軸を交錯させたり、好んでトリッキーな構成を取り入れる彼が、ここまでストレートなストーリーを作ることに少し驚かされた。
そんな変わった設定の映画であるが、中でも最もぶっ飛んでいるのは神様のキャラクターである。彼は見かけは我々と同じ人間である。妻と娘とブリュッセルに似た街の古いアパートに住んでいる。どう見ても下流家庭の暮らしを送っていて、神様と言われてもピンと来ない。
神様は自室に籠って一日中パソコン(液晶ではなくブラウン管のモニター)に向ってキーボードを打っている。何を打っているのかというと、それで人間界を管理し、様々な災難や不幸を与えて喜んでいるのだ。この世はろくでもない、と斜に構える人間なら、この神にしてこの世は”さもありなん”と思えるだろうが、それにしたって多くの人々が考える神様のイメージとは大分かけ離れている。傲慢で意地悪で堕落した俗物そのものである。
後半から神様は人間界へ降り立つのだが、ここでも暴君的な振る舞いと毒舌は留まる事を知らず、そのため会う人すべてに”頭のおかしい中年男”だと思われてしまう。その結果、彼は様々な受難にあう。今まで散々コケにしてきた人間達から痛いしっぺ返しを食らうのだ。このシニカルさ、ブラックさは、いかにもドルマン節で面白い。
一方、今作の主人公はあくまで彼の娘エアである。こちらは父が作り上げた過酷な世界をハッピーなものしようと人間界にやってくる。6人の使徒を訪ねて新しい新約聖書を作ろう‥というのが本作のメイン・ストーリーとなっている。言わば、6つのオムバス風な群像劇である。
中でも一番印象に残ったのが、夫婦関係が冷めきった中年女性のエピソードだった。彼女は裕福な家庭の主婦に収まっているが、仕事ばかりの夫に不満を抱いている。そこで彼女は新しい恋人を作る。その相手とは何とサーカスのゴリラである。まさかここでゴリラ‥!と驚かされたが、この奇抜な発想はどこからきたのだろうか?
大島渚監督の作品で「マックス、モン・アムール」(1986仏)というフランス映画がある。人間の主婦が動物園にいたチンパンジーと恋に落ちるという奇想天外な話だった。考えるに今回のゴリラはそのオマージュはないだろうか?今回、中年主婦を演じるのがフランスの名女優C・ドヌーヴだったので、何となく穿って見てしまう。
閑話休題。最近見たL・カラックスの新作
「ホーリー・モーターズ」(2012仏)でも「マックス~」のオマージュが見られた。ヨーロッパの映画人達にとって大島渚という名前は我々が考える以上に大きいものである。異種間恋愛を描いた「マックス~」。そして、極めてポルノグラフィーな内容でセンセーションを巻き起こした
「愛のコリーダ」(1976日仏)が無修正ノーカット版で公開されたフランスでは、大島渚の名前は相当強烈なインパクトを与えたことは間違いない。
そこから考えても、ドルマンが故・大島渚を意識してこのエピソードを作ったのではないか‥そんな風に想像できる。
この他にも、エアが起こす軌跡は一つ一つが大変個性的で面白い。
仕事ばかりの中年男が小鳥をどこまでも追いかけていく話。性的妄想癖が強い独身男の話。片腕がない孤独な女の話。元保険員だったスナイパーの話等々。非常に変わった人間たちの変わったエピソードが登場してくる。しかも、これらが全てエアが送った余命の宣告メールによって展開されていくのだ。人間の死生観が出ていて興味深く見ることが出来た。
ただ、ここまで書いておいて何なのだが、確かに全般的には面白く見れる作品であるが、幾つか突っ込みを入れたくなる”綻び”があり、所々でどうしても引っ掛かりを覚えてしまう箇所がある。
例えば、エアが全人類に余命を知らせるメールを送るが、なぜ彼女はそんなことをしたのだろうか?人々が自分の余命をを知ったことで戦争なんてバカらしくて止めてしまう‥というのが劇中で描かれていた。こうした不毛な争いを阻止しようとしたのなら分かる。
しかし、その一方で、劇中には度々自殺未遂を起こす青年も登場してくる。彼は自分の余命はまだ残っているので、いくら高い所から飛び降りても平気だ‥と笑いながら自殺未遂を繰り返す。
エアは良かれと思ってやったのかもしれない。しかし、彼のように自暴自棄になった者は何も怖いものが無くなり、何をしでかすか分からない。そうしたら世の中は大混乱に陥るだろう。エアが送った死の宣告メールは大変罪深いことなのではないだろうか?彼女が世界をハッピーにしたいと言っても、大概ふざけているとしか思えない。自分だったら残りの寿命を知らされたらイヤである。
もう一つは、クライマックスの処理の仕方である。エアの軌跡を描くドラマなのだから、クライマックスも当然、彼女が何か軌跡を起こして一件落着‥とするのが筋だろう。彼女の成長ドラマとしても、その方がスッキリする。しかし、実際にはそうはならない。”別の登場人物”がクライマックスを収束させるのである。これにも釈然としなかった。
尚、劇中でエアは、兄イエス・キリストのことをJ・Cと呼んでいる。この呼び方が何だかとても新鮮だった。それを聞いたエアの旅に同行するホームレスの男がこんなことを言う。
「J・Cと言えばヴァン・ダムだろ?ヴァン・ダムの映画を観たことがないなんて信じられない」
アクションスター、J・C・ヴァン・ダムが本人役で主演した
「その男 ヴァン・ダム」(2008ベルギールクセンブルグ仏)を見れば分かるが、彼は故郷ベルギー、ブリュッセルに戻れば今でもヒーローである。確かに現地の人にとってみれば、J・Cと言えばジーザス・クライストではなくヴァン・ダムだよなぁ~‥とクスリとさせられた。