まったく感情移入できなかったが解釈次第ではとても魅力的な作品となる。R18指定。
KADOKAWA / 角川書店 (2014-09-05)
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「17歳」(2013仏)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルエロティック
(あらすじ) 17歳の少女イザベルは、家族と来たリゾート地でドイツからやってきた青年と初体験を済ます。しかし、何故か彼女の心は満たされなかった。その後、パリに戻った彼女は、SNSで知り合った男たちに身体を売るようになる。
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(レビュー) 性に奔放な少女の姿を淡々と綴った青春映画。
監督・脚本はF・オゾン。女性の描き方に定評のある監督だけに、今回の『少女の売春』というテーマをどう描くのか。興味を持って観ることが出来た。
ただ、結論から言うと、表層的過ぎてイザベルの心中が見ているこちら側に余り響いてこず、結局彼女は何をしたかったのか?何が目的だったのか?分からなかった。彼女は別に金が欲しくて身体を売ったわけではない。複雑な家庭事情に対する反発から自暴自棄になったわけでもない。もちろん、単純に快楽を求めたわけでもない。一体、イザベルは何のために次々と男たちに身体を提供したのだろうか?自分の理解力不足なのかもしれないが、そこがさっぱり分からなかった。
ただ、この”さっぱり分からない”という感想こそがオゾン監督の狙い‥という気もした。
17歳といえば肉体的にも精神的に不安定な年頃である。社会的道徳では計り知れない”深い闇”をかかえていたりする。我々大人には到底理解できないような動機がきっと彼女の中にはあったのだろう。そして、それは永遠に理解できない物なのかもしれない。
オゾン監督は、この繊細でアンニュイで、時に大人が予想できないような大胆な行動に出る思春期の少女の”謎めいた生態”を画面を通して突きつけたかったのだろう。映画の語りが完全に客観的な作りになっているので余計に彼女の心中を察することはできない。敢えてオゾン監督はイザベルの内面を語らない方法で、少女のミステリアスさを描きたかったのだと思う。
そんな中、自分はイザベルと義弟とのやり取りだけは素直に面白く観ることが出来た。
二人の間に血の繋がりはないのだが、お互いの気持ちをよく理解しあっているように見えた。時に喧嘩をすることもあるのだが、まるで本当の姉弟のように仲が良く、そこが無邪気に見えて心が和んだ。
例えば、義弟も年頃の少年である。イザベルのことをやはりどこかで性的な眼差しで見ている。ある晩、彼女のベッドに全裸で寝ていた所を見つかり取り乱す。このシーンなどは可笑しかった。一方のイザベルもサバサバとした表情で「どいて!」と言うので、変に淫靡にならないで済んでいる。
全編性愛の世界が展開される本作で、唯一この姉弟の関係だけはユーモラスに見れた。
また、ラストに関しては、見た人によって様々な解釈が出来るようになっており、このあたりにはF・オゾンらしい観客に対する”知的”な”挑戦”が伺える。
このラストシーンはよく見ていれば分かるが、ベッドの左側に寝ていたイザベルがラストでカットが切り替わると右側に移動している。そして右側に寝ていた”レア”という中年女性役を演じたS・ランプリングが姿を消している。実は、イザベルはSNSで彼女の祖母の名前”レア”を名乗っていた。つまり、このラストシーンには二人の”レア”がベッドに寝ていた‥ということになる。このシチュエーションは一体何を意味しているのか?そこを考えてみると面白い。
自分は次のように解釈した。
S・ランプリングは過去に夫の愛を喪失した女である。それに対してイザベルはランプリングが失った愛を文字通り”殺した”女性と言うことが出来る。この二人の”レア”がラストシーンで出会う幕切れは実にドラマチックで、自分がまったく理解できなかったというイザベルの売春の意味がここに隠されているような気がした。
つまり、レアが何のために売春していたのかというと、それはランプリングと出会うためだったのではないだろうか?そして、過去のレア(ランプリング)は消え、現在のレア(イザベル)だけが後に残される。このラストはレアが新しく生まれ変わった‥ということを意味しているのではないか。そんな風に想像できた。
もちろん、このラストを見て別の解釈をする人もいるだろう。しかし、このように想像してみると、とてもロマンチックな結末に思えてくる。
尚、本作はポルノチックなシーンが頻繁に登場してくるのでR-18作品となっている。ボカシは他の作品と比べてかなり大きめである。このあたりは一体どういう基準になっているのか分からないが、フルボディのショットに半分近くのボカシがかかるのは流石に興醒めしてしまう。入れるにしても、もう少し考えて欲しい。