厳しさの中に見せるラストの優しさ。これに尽きる。
TOEI COMPANY,LTD.(TOE)(D) (2013-04-21)
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「ふがいない僕は空を見た」(2012日)
ジャンル青春ドラマ・ジャンルロマンス・ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 高校生の卓巳は友人に誘われて行った同人誌販売会で、あんずと名乗るアニメ好きの主婦・里美と出会う。彼女に気に入られた卓巳は、度々彼女の誘いでアニメのコスプレをしながら情事を繰り返した。そんなある日、卓巳がクラスメイトの女子に告白される。彼は里美に別れ話を切り出すが、一方の里美にも已むに已まれぬ事情があった。この一件から二人の関係は破綻し、卓巳は不登校になってしまう。コンビニのバイトをしながら認知症の祖母と暮す友人・良太が、そんな卓巳を心配して家に訪ねてくる。
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(レビュー) 様々な悩みやしがらみを抱えた若者たちの葛藤を凝った構成と端正な演出で綴ったヒューマン・ドラマ。
「百万円と苦虫女」(2008日)のタナダユキ監督が、山本周五郎賞受賞作の同名原作を映像化した作品である。
基本的なストーリーは卓巳と里美の不倫ドラマであるが、それ以外にも卓巳の友人・良太のドラマが用意されており、群像劇的な広がりを見せる映画となっている。正直な所、誰に感情移入したらいいのか分からず、終始宙ぶらりんな状態で鑑賞したのだが、ラストになってようやく溜飲が下がった。これは、ある種”生命賛歌”のドラマなのだと思う。
原作(未読)は短編集という事である。今回の映画はその中の幾つかのエピソードを掛け合わせて作られている。
まず、この複数のエピソードを1本のドラマにまとめた構成が見事だと思う。
脚本を担当したのは向井康介。山下敦弘監督とのコンビが多くオフビートな味わいに長けた、主にオリジナル脚本を書くライターである。先頃見た
「もらとりあむタマ子」(2013日)などは氏の特徴が良く出ていた傑作だったと思う。クスクス笑いながら最後はジーンとくる好編だった。
今回は氏にしては珍しく原作モノだが、それでも手堅くまとめられていると思った。個々のエピソードを相関させつつ、時制を前後させながら、ミステリアスに、残酷に、愛に翻弄される人々の可笑しさ、悲しさを見事に浮かび上がらせている。
本作には全部で3つのエピソードが登場してくる。
まず、第1部は卓巳の視座で進む恋愛ドラマとなっている。里美というアニメ好きな主婦と出会った彼は、次第に彼女との不倫にのめり込んでいくようになる。そんな時に、同級生の女子に告白されて彼の心は揺れ動く。年頃の少年の葛藤に迫った、いわゆる青春恋愛談として面白く観ることが出来た。
続く第2部は、第1部を逆の目線、つまり卓巳の相手である里美の目線で綴ったパートとなっている。前パートと違った角度でこの恋愛ドラマを捉えることで、色々と新たな発見ができる。そして、ここでは前パートでは見えなかった、里美が抱える”ある苦悩”が判明する。これは女性にとって最も悲しい苦悩と言えよう‥。卓巳のパートで見た時とは全く違った印象で彼女のことを見ることが出来た。里美という女性の表裏を視点の切り替えで表現した所が実に巧みである。
ただし、このパートを見て少し安直に思える箇所があったのは残念だったが‥。それは里美の夫と義母に関するキャラクタリゼーションである。”情けない夫”、”意地悪な姑”といった具合にカリカチュアされており、この辺りは少々短絡に写った。本来はシリアスな悲劇なはずなのに、どこかブラック・コメディのように見えてしまうのは、果たして狙ってやったものなのかどうなのか‥。個人的にはもう少し抑制してほしかった。
そして、最後に登場するのが、卓巳の親友、良太の目線で綴る第3部である。卓巳は、里美と付き合っていることがバレて学校に来れなくなった卓巳を心配するようになる。その一方で、彼自身もプライベートで問題を抱えており、いわゆる苦学生であることが判明する。
彼が住まう環境の過酷さは想像以上にシビアである。両親に見放され、認知症を患う祖母と貧しい暮らしを送っている。果たして今の時代、ここまで孤立した暮らしが存在するのか‥という疑問が頭をよぎるが、いずれにせよ彼の置かれている状況は悲惨この上ない。
このエピソードには他に、良太が働くバイト先の同僚で幼馴染の純子という少女が登場してくる。彼女の私生活の荒みっぷりもかなりのものである。更には、虐待を受ける近所の幼い子供たちも然り。こうした”孤児性”の表明が、この第3部のテーマのように感じられた。
尚、このエピソードに登場するコンビニの店長と先輩社員の造形は中々に味わい深かった。万引きした子供たちに優しさと厳しさ、飴と鞭を与える店長。良太を気に掛ける親切心の裏側に自己欺瞞を隠し持った先輩社員。人間の二面性を掘り下げたこれら人物造形は見事だった。
メインヒロインである里美の表裏の顔をミステリアスに紐解いた第1部、第2部の構成にしてもそうだが、この映画は人間の二面性といったものを非常に巧みに描けていると思う。
しかして、映画はラストで、これら3つのエピソードを”ある奇跡”によって一つに結びつることで終わる。卓巳の母親は助産師をしていて、彼はその仕事を手伝いをしている。この設定が上手く効いている。
子供を生めなかった里美
「どうして俺を生んだんだ!」と母親に問う良太
親から虐待を受ける裸足の少女
自然分娩にこだわったが最終的に病院に担ぎ込まれてしまう母親
こうした登場人物たち苦しみ、悲しみが、ラストの”ある奇跡”で一掃されることで見事なカタルシスを味あわせてくれる。”生命賛歌”というメッセージが感じられ胸が熱くなった。
タナダ監督の演出は「百万円と苦虫女」同様、端正に整えられていると思った。時々キャラクターの心情をテロップで表現しているが、そこも噛みしめたくなるような味わいがあって良かったと思う。
ただ、先述したように、里美の夫や義母に関するキャラクタリぜーション、良太が置かれている環境に、全体のリアリティ優先な演出との乖離が見られる。作品自体を破綻させるほどではないが、全体のバランスから言うと少々歪な印象を持ってしまった。