傷ついた心はそう簡単に癒せない。
「マンチェスター・バイ・ザ・シー」(2016米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) ボストン郊外でアパートの便利屋をしながら孤独に生きるリーの元に兄の訃報が入る。兄がいる港町マンチェスター・バイ・ザ・シーへ向ったリーは、そこで変わり果てた兄の姿と面会し深く悲しんだ。そして弁護士から遺言を預かる。そこには彼の長男で高校生のパトリックの後見人になって欲しいと書かれていた。戸惑いを隠せないリーは、仕方なくパトリックにボストンで一緒に暮らそうと提案する。しかし、友だちも恋人もいるからここを離れることはできないと拒まれた。一方、リーにもこの町で暮らしたくない事情があり‥。
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(レビュー) 家族の死をきっかけにして結ばれていく孤独な者同士の絆の物語。
いわゆる”喪の仕事”を描くドラマである。
家族を失った者が深い絆で結ばれていくことで徐々に死の悲しみから解放されていくという物語は、これまでに何度も観てきた題材である。しかし、本作が他の作品と違うのはラストの描き方である。
決して希望に溢れた終わり方をするわけではない。むしろ死の悲しみを払拭できず、彼らは救われないまま終わってしまうのだ。ハッピーエンドに持って行かなかったことは、映画=エンタテインメントとして捉えた場合邪道であろうが、どこまでも現実を直視させた作り手側のこの姿勢は大いに評価したい。
加えて、映画を観終わって暗澹たる気持ちになるかと言うとそういうわけでもない。一筋の光明が確認でき、決して嫌な鑑賞感にならない所が素晴らしい。
映画の中でずっと笑わなかったリーは最後にかすかな笑みを見せるし、ラストのパトリックとのやり取りには二人の関係が今後良い方向へ発展していくのではないか‥と期待させられる。
偶然にも先日観た
「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス」(2017米)も父子(疑似父子)のドラマだったが、この「マンチェスター・バイ・ザ・シー」も疑似父子のドラマである。そして、どちらにも父と子のキャッチボールのシーンが登場してくる。野球映画の傑作「フィールド・オブ・ドリームス」(1989米)でも感動的に描かれていたが、やはりキャッチボールは父子の絆を映像的に見せる手段として一つの王道なのかもしれない。
しかして、映画の最後の方で、リーとパトリックがぎこちなくキャッチボールをするシーンが出てくる。「そんなボール捨てておけ」と言うリーに対してパトリックが拾って投げ返す姿がとても印象的だった。このシーンを見ると、もしかしたらパトリックは近いうちにリーに会いに行くのではないか、家族としてでなく”友人”として付き合うようになっていくのではないか‥。そんな希望が感じられた。
映画は終始、重苦しいトーンに包まれていて、見ている最中は居たたまれない気持ちにさせられる。ただ、全てが暗く沈んだシーンばかりかと言うとそうでもなく、時折オフビートなユーモアが登場してくる所は面白いと思った。
パトリックは父を失った直後はショックを受けるが、暫くするといつもと変わらぬ生活に戻っていく。ガールフレンドに二股をかけたり、ロックバンドの練習に熱を入れたり、結構気ままに楽しんでいるように見えた。おそらくだが、彼なりに悲しみを紛らそうとして敢えて普段と変わらない生活を送っているのだろう。そんなパトリックと悲しみに暮れるリーとの対比が微妙なユーモアを生んでいる。
例えば、パトリックはガールフレンドとエッチをしたいのだが、彼女の母親がしょっちゅう部屋にやってきて邪魔されるので、リーに母親と世間話でもして引き留めて欲しいと頼む。しかし、リーには”ある過去”のトラウマがあり、それが原因で他者とコミュニケーションをとることが出来なくなってしまっている。結局、母親がやってきてパトリックはエッチが出来ない。
抑制された演出で描かれているので大笑いとはいかないが、思わずクスクスと笑ってしまうようなユーモアに溢れたシーンである。
また、リーの”ある過去”を中盤まで伏せて展開させたのも上手い構成に思えた。リーの過去に一体何があったのか?どうして周囲の人々が彼のことを知っているのか?そうした謎がミステリーとしての機能を果たし、ストーリーへの求心力を高めている。
やがて映画の中盤辺りでそれはリー自身の過去のフラッシュバックで解明されるのだが、これは衝撃的だった。こんな不幸を味わえば誰だって心を閉ざしてしまうだろう。彼の苦しみが伝わってきて心が痛んだ。
監督・脚本はケネス・ロナーガン。抑制された演出、リーの過去を中盤まで伏せたストーリー展開が見事である。大変寡作な作家でこれが長編3作目ということで、自分は今回が初見だった。
演出は基本的に静謐なタッチでまとめられている。また、唐突に入るカットバック演出も、一見すると分かりづらいという意見もあろう。しかし、全体の抑えたトーンを崩さなかったことを考えれば良い判断に思えた。非常に頭の良い監督のように思う。出来ることなら創作ペースをもっと上げて欲しいものである。
ただし1点だけ。音楽の使い方については物申したい。全編抑制された演出が貫かれている割に、大仰なクラシック音楽がかかるのに違和感を持った。誰もが一度は聴いたことがあるだろう「アルビノーニのアダージョ」をバックにリーの過去が回想されるのだが、ここは普通に劇伴で良かったのではないだろうか?どうにもドラマチックさを狙いすぎて受け付けがたい。
キャストでは、何と言ってもリーを演じたケイシー・アフレックの抑えた演技が絶品だった。大切なものを失った喪失感を必要最小限の演技で表現した所が見事である。彼は俳優で監督のベン・アフレックの弟である。兄に比べると今一つ地味だが、本作の演技で見事にアカデミー賞の主演男優賞に輝いた。過去に色々と問題を起こして映画界から干されていた時期があり、今回の受賞は感慨深いものがあろう。今後の奮起を期待したい。