バイオレンス映画界の巨匠を追ったドキュメンタリー。

「サム・ペキンパー 情熱と美学」(2005独)
ジャンルドキュメンタリー
(あらすじ) バイオレンス映画の巨匠サム・ペキンパーに迫ったドキュメンタリー。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) ペキンパーと言えば、主に70~80年代にかけて活躍したバイオレンス映画の巨匠で、スローモーションを駆使した独特のスタイルから、今尚多くのファンを魅了し続ける正に時代を超えた映画人である。
本作は、そんな彼の生い立ちを紹介しながら、映画製作にまつわる関係者のインタビューや記録映像を交えて、彼が残したフィルモグラフィーを追う形で進行する。オーソドックスな作りではあるが、興味深く観れた。
実は、自分も氏の作品は大好きで生涯残した全14本を全て観ているほどである。ペキンパーの原体験がテレビで観た「戦争のはらわた」(1975西独英)で、その時に受けた印象が余りにも鮮烈で、それ以来、自分にとってサム・ペキンパーという監督は唯一無二の存在になっている。
そんなペキンパーは作品の内容同様、かなりクセのある人物だった。プロデューサーとの喧嘩や出演俳優とのトラブルが絶えず、時には仕事を干されることもあった。この辺りのエピソードは本作を観るとよく分かる。
しかし、そんな彼にも僅かではあるが味方はいた。このドキュメンタリーを観てそれを知ることが出来たのは一つの収穫である。
例えば、プロデューサと対立して編集権を奪われてしまった「ダンディー少佐」(1965米)では、主演のC・ヘストンがギャラを返上してまで抗議したと言う。
また、彼をテレビ業界から映画界に推薦したのは俳優のB・キースだった。その縁からペキンパーは彼を主演に「荒野のガンマン」(1961米)という西部劇を撮って監督デビューを果たした。
本作にはペキンパー映画の常連俳優であるL・Q・ジョーンズやボー・ホプキンス、D・ワーナーといった面々が登場してきてインタビューに応えている。彼らもペキンパーを信奉する映画人たちで、そういう意味では、敵も多かったかもしれないが、仲が良かった味方もたくさんいたということが分かる。
他に、本作では貴重な撮影の舞台裏を目にすることもできる。
代表作である「ワイルド・バンチ」の有名なクライマックス・シーンは、今では”死のバレエ”と評され、かの香港アクション映画界の名匠J・ウーは多大な影響を受けたと公言している。その歴史に残る名シーンは、何と6台のカメラで1cmずつずれて何度も同じシーンを撮影したという。しかも、俳優のD・ワーナーはこの映画の4時間ver.を見て映画俳優になることを決心したとか‥。「ワイルド・バンチ」には幾つかのver.があるらしいが、4時間ver.なんて代物は聞いたこともない。もしあるとしたら自分も観てみたいものである。
「わらの犬」(1971米)のパートでは貴重なメイキング映像が登場してくる。インタビュアーが、原作者が映画の改変に怒っていると言うと、ペキンパーは「まったく気にしない」と笑いながら応えているのが印象的だった。いかにも反骨の人、ペキンパーらしい受け答えだ。
「砂漠の流れ者」(1970米)では雨のためにろくに撮影できなかったこと。「ゲッタウェイ」(1972米)の刑務所のシーンはホンモノの囚人たちに混じって撮影されたこと。「戦争のはらわた」では予算の限界でたった3台の戦車しか撮影に供されなかったこと。「コンボイ」(1978米)ではA・マッグローが撮影の途中で帰りたがっていたこと等々。様々な裏話が聞けて面白かった。
そして、映画を中々撮れない時期があったことにも本作は言及している。その間ペキンパーはアルコールやドラッグに溺れていたという。大好きな監督だけに、このあたりは見てて非常に辛かった。
享年59歳。余りにも早すぎる死だが、もし存命だったら一体どんな作品を撮っていただろう?ふと想像することがある。
本作の終盤で、ジュリアン・レノンのミュージック・ビデオを撮影するペキンパーの姿が登場してくる。これが彼の最後の仕事ということだった。MTV全盛の80年代にこうした仕事を引き受けていたことを考えると、案外時代の潮流に乗ることも出来たのかもしれない。
彼の遺作となった「バイオレント・サタデー」(1983米)は決して成功とは呼べない作品だったが、監視社会の恐怖を描いたハイテク・スリラーだったわけで、案外こういう路線も行けたのかもしれない。そう思うと、もう少し長生きして氏らしい作品をもっと見せて欲しかった‥という気がしてしまう。