佐村河内のその後を追ったドキュメンタリー。

「FAKE」(2016日)
ジャンルドキュメンタリー:ジャンル社会派
(あらすじ) 聴覚障害を持ちながら作曲活動をしたことで“現代のベートーベン”として持て囃された佐村河内守の真の姿に迫ったドキュメンタリー。
ランキング参加中です。よろしければポチッとお願いします!


(レビュー) 世間を賑わせたニュースなので知っている人も多いと思うが、佐村河内氏は聴覚障害者の音楽家として当時は大人気だった。しかし、18年間彼のゴーストライターを務めていた新垣隆氏がマスコミに登場したことで彼の音楽家としての生命は絶たれ、嘘つき、ペテン師と激しいバッシングを受けた。この映画は、そんな佐村河内氏と彼の妻を追いかけたドキュメンタリーである。
監督は森達也。彼はオウム真理教の内部にカメラを持ち込んで撮った「A」(1998日)と「A2」(2001日)で注目を浴びた気鋭のドキュメンタリー作家である。かなりセンセーショナルな題材だったので公開当時は大きな話題となった。
その彼が今回被写体に選んだのが、やはり世間をにぎわせた佐村河内の「疑惑」である。オウム真理教に比べれば、社会性に乏しいものの、世間に背を向けて引きこもる彼の私生活を赤裸々に捉えた所は大変興味深く観れた。
また、言葉巧みに佐村河内の私生活に潜り込んでいく監督の姿には、ジャーナリストとしての気骨も十分伺える。何だか見てて頼もしく感じられた。
ただ、本作は例の疑惑の真相を究明しようという映画ではない。あくまでも佐村河内と彼を支える妻の私生活を切り取った、夫婦のドラマとなっている。
また、渦中の人物である新垣隆、事件をすっぱ抜いた文春の記者に対する取材もしてないので(正しくは拒否されたので)、疑惑の真相を知りたいという人にとっては完全に肩透かしな内容となっている。
自分も、佐村河内の嘘を暴いた張本人である彼らの言葉をぜひ聞いてみたかった。しかし、それをまったく得られなかったのが非常に残念だった。佐村河内の都合の良い言い訳を延々と聞かされる本作は、とても公平な立場から撮られたドキュメンタリーとは言い難い内容である。
とはいえ、この偏向的な作りは森監督の狙いでもあったのだろう‥と想像できる。
森監督は佐村河内の言うことを全て信用していたわけではないだろう。本編を見ていれば、彼の質問の仕方や、受け答えからそれがよく分かる。
また、本作のタイトルを「FAKE」=「偽」とした意味もそこにあるだろう。彼は佐村河内のことをグレー、もしくは限りなく黒に近いグレーと思っていたに違いない。
ここが本作のミソだと思う。
昨今は何事にも白黒をはっきりつけたがる人々が多い。その現代社会において、この事件の真相を明らかにすることを、森監督は敢えて”是”とはしたくはなかったのではないだろうか。つまり、佐村河内のグレーな姿を見せることで、観客に考えて欲しい。物事には白黒はっきりとつかない物もある‥ということを知って欲しい。そういう思いがあったのではないか‥と想像する。
佐村河内は一時は確かに聴覚障害者の認定を受けていた。しかし、その後、彼の聴覚は幾ばくか回復し障害者手帳を国に返納している。この事実を考えると、彼は途中からある程度耳が聞こえていたことは間違いないだろう。しかし、彼はCDを売るために今まで通りの聴覚障害者という”キャラクター”を演じ続けた。世間を欺いたこの嘘は決して消すことは出来ない。その意味で彼は罰せられて当然である。ただ、かつては間違いなく聴覚障害者だった時期があり、この事実もまた消すことはできないのである。
このことを考えると、一概に彼を糾弾するのは気の毒という気もしてしまう。
本作は事件の真相を追求する一方で、取材する側のマスコミの姿勢についても問うている。
世間から隠れるようにして暮す佐村河内夫妻を追い回すマスコミの強引な取材姿勢。佐村河内の影で長年日の目を見なかった新垣を時代の寵児に祭り上げていくマスコミの商業主義。このあたりを見ていると自分も腹立たしい気持ちになった。
と同時にそんなマスコミに振り回される大衆の愚かさも痛感された。周囲が叩くから自分も叩くという同調圧力の怖さは、今回の事件に限ったことではない。昨今のネット社会では顕著にみられる動向だ。その情報が本当に正しい物なのかどうか?それを見極める目は常に持っていたいものである。