去勢された映画監督の創作への意地を見た思い。
「人生タクシー」(2015イラン)
ジャンル人間ドラマ・ジャンル社会派
(あらすじ) 映画作家ジャファル・パナヒ監督は、自らタクシー運転手になって様々な客を乗せながらカメラを回していた。泥棒を死刑にしてしまえと訴える男とそれに反論する女性教師。海賊版DVDで一儲けを企む男。交通事故で瀕死の重傷を負った夫と妻。金魚を抱えた老姉妹等々。パナヒは彼らと対話しながら車を走らせていく。
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(レビュー) 映画監督がタクシー運転手に扮しながら様々な客との対話を通して、現在のイランの社会情勢、自らが置かれている苦しい立場をユーモアと辛辣さを絡めて訴えかけた社会派人間ドラマ。
本作は監督のジャファル・パナヒが自ら主演を務めた野心作で、ある意味では非常に奇妙な作品とも言える。果たしてこれはドキュメンタリーなのか?フィクションなのか?映画が始まって暫くは判然としない。しかし、話が進んでいくうちにこれはフィクションであることが分かってくる。どうしてパナヒはこのようなスタイルで映画を撮ったのだろうか?その理由は本作のテーマとも密接に関係してくるので後ほどと述べたい。
まず、自分はパナヒ監督の作品は以前に「白い風船」(1995イラン)と「チャドルと生きる」(2000イラン)を観た。
前者は幼い少女の無垢なる思いを切なく切り取ったアッバス・キアロスタミ譲りの小品である。
キアロスタミと言えば、イラン映画界のみならず世界的にも有名な名匠である。しかし、彼はイラン政府の検閲の下、思うような映画作りが出来なかった不遇の作家でもある。その彼が脚本を務めた「白い風船」は”児童映画”という体はとっているが、実際には権力に対する批判が相当強く入った作品である。おそらくパナヒ監督も師匠であるキアロスタミと同じ憤りを感じていたに違いない。二人のその思いがこの「白い風船」という作品に結実している。
後者は女性を抑圧するイスラム社会をダイレクトに批判した作品で、こちらも社会を断固痛烈に批判した作品である。
このようにパナヒ監督が描くテーマは常に一貫している。それはイラン社会と権力を告発することである。
実は、奇しくもパナヒ自身も、キアロスタミ同様、2010年にイラン政府の検閲命令で20年間映画を撮ることを禁じられている。映画監督が自由に映画を撮れないというのは想像を絶するほどの悔しさだろう。しかし、彼はその悔しさをバネにして、今でもこうして苦肉の策を練りながら作品を撮り続けている。身の危険を感じながら作品作りに執心するこの姿勢。まさに真の映画作家と言うべきだろう。
本作がユニークなのは、監督自らがタクシー運転手に扮して、車載カメラや、スマホのカメラ、途中から登場する彼の姪が使うデジカメでまるでドキュメンタリーのように作品を撮っていることである。公に撮影できないのであれば、隠れるようにして撮ればいい。そう考えて彼は本作を撮影したのである。表現者としての”意地”以外の何物でもない。これが本作をこうしたドキュメンタリーともフィクションともつかない奇妙なスタイルにした一番の要因である。
この奇妙なスタイルが奏功し、自分はオープニングシーンから一気に引き込まれた。1カットで捉えたロングテイクが、相乗りした客同士の死刑制度を巡る口論を生々しく切り取っている。一体どういうオチが付くのか気になり思わず身を乗り出して見入ってしまった。
この余りにも生々しい客たちの喋り方を見ていると、これはひょっとしてドキュメンタリーなのか?と思ってしまうが、そんなことはなくタクシーに乗ってくる客は皆、俳優である。
その後もパナヒ監督のタクシーには様々な人間が乗ってくる。いずれも個性的で面白く観れた。また、そんな客たちに愛想よく接するパナヒ監督の人柄も人情味に溢れていて好感が持てた。とても映画撮影を禁止された反骨の映画作家には見えない。
物語のキーとなるのは、中盤に登場してくる姪のハナである。彼女は授業で映画の撮影を課題に出され、デジタルカメラでパナヒ監督の仕事ぶりや乗ってくる客たちを撮っていく。
ある時、彼女は一人の見すぼらしい少年を見つける。結婚式を終えたカップルが落としたお金を拾って懐に仕舞う所を偶然撮ったハナはそのお金を返すように少年に言う。しかし、少年はそれを返せず立ち去ってしまう。
ロマンティズムに溢れる映画であれば、少年は改心しお金を返してハッピーエンドとなるだろうが、実際にはそうならない。ハナが現実の厳しさを目の当たりにした瞬間だったように思う。その後、彼女はパナヒに問う。
「俗悪なリアリズムって何?」
この言葉は、タクシーに乗ったパナヒ監督の旧友から出た言葉であるが、ハナのやるせない気持ちが伝わってくるような問いかけだった。
この”俗悪なリアリズム”という言葉はとても印象に残った。そして、これこそがパナヒ監督が今作を通して訴えかけたかったテーマなのではないか‥。そんな風に思えた。
自由な映画製作が出来ない自身の身上。見せしめとして行われる死刑。娯楽映画を自由に観ることすら許されない社会。こうした問題は正に”俗悪なリアリズム”と呼ぶにふさわしいもので、パナヒ監督は客たちの各エピソードの裏に忍ばせて描いている。タクシーという限定された空間の中で、ここまで広く大きな問題意識を提示したところは見事と言うほかない。
尚、映画のラストも印象的である。作品の検閲を暗に皮肉ったようなオチになっていて衝撃的だった。パナヒ監督の検閲制度に対する怒りが聞こえてくるようだった。