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セールスマン

骨太なサスペンス作品。
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「セールスマン」(2016イラン仏)star4.gif
ジャンルサスペンス
(あらすじ)
 小さな劇団に所属するエマッドとラナ夫妻は、住んでいるアパートに倒壊の危険が生じたことから引越しをした。ところが、その先には前の住人の荷物がまだ残っていた。数日後、ラナは一人でシャワーを浴びていた所を何者かに襲われ負傷してしまう。心に深い傷を負った彼女は精神的に不安定になる。しかし、事件を表沙汰にしたくなかったために警察には届け出なかった。エマッドは一人で犯人を捕まえようとするのだが‥。

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(レビュー)
 イランの俊英アスガー・ファルハディが監督・脚本を務めたシリアスなサスペンス・ドラマ。

 事件の加害者と被害者の関係、夫婦の絆、そしてイラン社会に根深く現存する男尊女卑の慣例が濃密に絡み合いながらハードに展開される作品である。

 ファルハディ監督と言えば、監督デビュー作「彼女が消えた浜辺」(2009イラン)が思い出される。イスラム社会に根付く宗教の戒律と女性に対する抑圧の歴史が、ある種寓話的に描かれた作品だった。今回もそれに通じるようなテーマが読みとれる。それは男尊女卑の社会に対する非難だ。

 今回の物語ではラナがその犠牲者となる。そして、この映画の鋭いと思う所は、彼女のみならず、ある種事件の呼び水とも言える”前の住人”のバックストーリーを想像することで、更に広範な意味での女性差別という問題にまで考え方を発展させることが出来るという点である。

 映画の中では”前の住人”は最後まで姿を見せない。したがって、劇中のラナたち同様、映画を観ている我々も一体どんな人物だったか想像するほかない。しかし、周囲の住人たちから”ふしだらな女”と噂されていたので、おそらく体を売っていた女性であることは容易に想像がつく。そして、残された荷物を見ると幼い子供を抱えていた事も分かる。そこからこの姿なき女性の悲痛な半生が読み取れる。実は、彼女も女性を抑圧する社会から疎外された”犠牲者”だったのではないか‥と。
 こうなってくると、この”前の住人”のことも何だか可哀そうに思えてくる。

 こうしたイラン社会の”負”とも言うべき女性抑圧の慣例については、これまでにも幾つかの作品で目にしてきた。しかし、改めて今作を通してその理不尽さには辟易とさせられてしまう。ファルハディ監督のデビュー作「彼女が消えた浜辺」にも通じる、憤り、怒りが画面から伝わってきた。

 と同時に、今作は一組の夫婦の絆の物語、事件の加害者と被害者の関係、復讐の無意味さを問うた、誰にでも関心を持てる、より普遍的なドラマとして見ることも出来る。

 事件の後、精神的に不安定になったラナはエマッドとの夫婦仲をギクシャクさせていく。世間体を考えて警察に訴えられず、やり場のない怒りが鬱積し次第に夫婦の心は離れ離れになってしまう。それがどうやって修復されていくのか?そこが本作の一つの見所となっている。

 もう一つ、事件を通して描かれるエマッドの復讐ドラマ。こちらも大きな見所である。それはクライマックスで一つのピリオドが打たれるのだが、果たして彼の復讐は正しかったのかどうか‥?運命の悪戯とでも言うべき顛末が、この復讐を虚しく見せている。映画を観終わった後に色々と考えさせられた。

 「彼女が消えた浜辺」のラストも”事件”に対する”解決”を容易に提示しなかったが、ここでもファルハディはリベンジのカタルシスを皮肉的に提示している。後味の悪さは確かに残るが、それゆえ心に響き、鑑賞後に色々と考えさせられる作品となっている。映画はロマンを与えるものであると同時に、常に厳しい現実を突きつけるものでもあるべきだろう。

 このクライマックスは非常に緊張感が持続する名シーンになっていると思う。昨今ここまでヒリヒリした会話劇を見たことが無い。それこそ舞台でも見ているかのような生々しいダイアローグの応酬で見応えがあった。

 また、今作でもう1箇所印象に残ったシーンがある。それはラナが同じ劇団仲間の子供を自宅へ招いて手作りの料理を振舞うシーンである。ここは本作で唯一微笑ましく見れるシーンとなっているが、その喜びも束の間。”ある事実”が発覚することで一瞬にしてその場は凍り付いてしまう。余りにも残酷な急展開に息を飲んでしまった。

 尚、エマッドとラナは劇団の主役であり、本編中に稽古風景が度々挿入される。演じているのはアーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」である。映画のタイトルも「セールスマン」であるし(原題もそうなっている)、ファルハディはこの戯曲に何らかの意味を持たせていることは確かだ。

 この戯曲はいわゆる名作であり、これまでに2度映像化されている。一度目は1951年に劇場用作品として、二度目はD・ホフマン主演で1985年にテレビ映画として製作されている。残念ながら自分は舞台も映像作品も未見である。

 果たして、映画の内容とこの戯曲の内容がどのようにリンクしているのか?未見である自分には今一つピンと来なかったのだが、知っている人であればきっと色々と見えてくるものがあるのかもしれない。
[ 2017/11/29 01:01 ] ジャンルサスペンス | TB(0) | CM(0)

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