何とも皮肉なタイトル。ハネケ節健在。
「ハッピーエンド」(2017仏独オーストリア)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 13歳の少女エヴは母が入院したことで離れて暮らす父トマに引き取られることになった。父は若い妻と再婚して医師として働きながら、両親兄弟と豪勢な暮らしを送っていた。建築業を経営していた家長のジョルジュは認知症を患い隠居していた。長女のアンヌは父の意志を受けて事業を取り仕切っていた。彼女の長男ピエールはその会社の重職に就いていた。ある日、建設現場で事故が起こってしまう。
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(レビュー) ある裕福な家族の秘密を冷徹な眼差しで描いたビターなホームドラマ。
いきなりスマホの映像から始まり驚かされるが、これが中々衝撃的な内容で画面にグイグイと引き込まれた。主人公エヴの”独り言”で始まるこの場面は後に様々な波紋をドラマに及ぼすことになる。以降はエヴを中心とした一家の内幕モノとなる。
これは典型的なブルジョア一家の凋落のドラマだと思った。不倫や自殺未遂、事業の暗転。表向きはすまし顔をしている彼らだが、その裏では醜怪で欺瞞に満ちた駆け引きをしている。それを知ったエヴは何を思うのか?そこが本作のクライマックスとなっている。
そして、実はエヴ自身にも裏の顔があり(それは冒頭から明かされているが)、血の繋がりは切っても切れないな…という暗澹たる思いにさせられた。
かように人間の嫌な面を次々と見せつけてくる映画なので、好き嫌いがはっきり分かれる作品だと思う。
ただ、それらは人間の奥底に眠る欲望を的確に突いており、それゆえ目が離せないというのも事実で、観る人によっては身につまされる部分があるかもしれない。
監督・脚本はM・ハネケ。いかにも氏らしい、セリフに頼らないミステリアスな語り口に惹きつけられた。
例えば、先述した冒頭のスマホ画面の中で行われる”事件”は、直接画面に写すことなく事の次第を明確に表している。
あるいは、パソコン上で繰り広げられる淫らなチャット画面が度々出てくるが、最初はこれが誰が書いている文章なのか分からない。後半の、あるシーンでそれが判明する。
また、車いすのジョルジュが街中で通行人相手に何かを喋っているシーンが出てくる。その内容は後のあるシーンで何となく想像すことができるようになっている。
一見するとこれは何のシーンなのか?と疑問に思える物も、全体を通して見れば全てが合点がいくように作られていて、改めてハネケの卓越した演出、巧みな構成術には唸らされてしまう。
ただ、ストーリーについては、若干日和見な印象を持った。家族の表の顔を一枚一枚剥いでいく丁寧なストーリーではあるが、決して驚くような展開が待ち受けているわけではない。冒頭の”事件”以上にショッキングな”事件”は起こらない。そのため映画としてのインパクトはやや欠けるという気がした。
これはハネケ映画の大きな特徴だと思うのだが、彼は人物や事件を客観視し必要以上にエモーショナルな演出をしない。そのため観客は物語の中に積極的に入り込んでいく必要がある。
今回の場合、いわゆる恵まれた家庭の話である。そこに感情をコミットするのは自分のような人間には困難だった。結果、彼らの心情にすり寄ることが出来ず、物足りなさを覚えてしまった。もう少し彼らが感情を曝け出してくれれば、よりエキサイティングで濃密なホームドラマになっていただろう。
ラストは秀逸である。毎回、ハネケ映画のラストシーンは意味深で、嫌な後味が残るのだが、変な言い方かもしれないが今回もその期待(?)には十分応えてくれた。
冒頭に呼応させた形で終幕す所がミソで、果たしてタイトルの「ハッピーエンド」とは何を意味しているのか?と一寸考えさせられてしまった。
表向きはハッピーエンドでも実際にはバッドエンドなのかもしれない…。ある人にとってはハッピーエンドでも、別の誰かにとってはバッドエンドなのかもしれない…。そして、この表と裏はこの一家の生き方そのものではないか…とタイトルの意味が反芻された。
尚、ジョルジュ役でジャン=ルイ・トランティニャンが登場してくる。彼の最後の”告白”から、同監督作
「愛、アムール」(2012仏独オーストリア)との関連性が見えてきて面白い。あの映画の後日談的な意味合いが読み取れた。