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バルタザールどこへいく

バルタザールが象徴した物は何だったのか?

「バルタザールどこへいく」(1964仏スウェーデン)星3
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ)
 教師の娘であるマリーは、農園主の息子ジャックと仲良しだった。ある日、生まれたばかりのロバが買われてやってくる。二人はそれに“バルタザール”という名前をつけ可愛がった。その後、ジャックは引っ越しバルタザールもどこかへ行ってしまった。10年後、バルタザールは鍛冶屋の職人に使われていた。しかし、あまりの重労働に耐えかねてマリーの元に戻ってくる。マリーは喜んであちこちに彼を連れて出かけた。それを彼女に想いを寄せる不良少年ジェラールが見ていた。彼はバルタザールに酷い虐待をするようになる。

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(レビュー)
 一匹のロバを軸に周囲の人間模様をシンプル且つミニマムに綴った作品。

 バルタザールを狂言回しにしている点、彼とマリーの愛情を描くドラマから、どうしてもスピルバーグ監督の「戦火の馬」(2011米)を連想してしまう。ただ、児童文学を原作にした「戦火の馬」と本作ではテイストは真逆である。こちらはひたすらシビアで、ラストも悲劇的な結末になっている。

 例えば、マリーに思いを寄せる不良少年ジェラールの悪辣な行動は、観てて決して気持ちの良いものではない。ある意味で人間の悪心を徹底して曝け出したキャラとなっている。
 特に、バルタザールの尻尾に火をつける行為は最悪で、見てて気分が悪くなった。今のようなCGが無かった時代にどうやって撮影したのだろうか?まさか本当に火をつけたわけではあるまい…。

 本作にはジェラール以外にも様々な悪者が登場してくる。警察から指名手配される犯罪者、悪徳業者や悪徳行商人、詐欺師等。こうした道理に外れた面々が映画の中では様々な形でフィーチャーされている。そして、彼らの行為がフィーチャーされればされるほど、それを見つめるバルタザールの純真さ、マリーとの純愛といったものが神々しく感じられる。ここが本作の構成の上手さだと思う。

 つまり、この映画はバルタザールという、ある意味で神の視点を通して人間世界の残酷さ、愚かさを描いているのである。

 ラストが印象的である。バルタザールは人間同士の争いに巻き込まれて憐れ銃弾に倒れてしまう。その姿はどこかキリストの殉教のように見えた。人間の身勝手な行為が彼を悲しい運命へ追いやった…とも取れるこの痛烈なラストには、教義的なメッセージが感じられた。

 監督、脚本はR・ブレッソン。
 いわゆる一般的な映画技法を否定し、独自に”シネマトグラフ”という映画概念を追求した孤高の作家である。その主な特徴としては、キャストにプロの俳優を起用しないこと、大仰な演技を排除すること等が挙げられる。

 本作もその”シネマトグラフ”が存分に追及された作品となっている。
 必要最小限に抑制された演技、研ぎ澄まされたカットとセリフ。これらミニマムな作りは観る側の感情移入を拒むような所がある。というか、人間という存在その物に対する嫌悪感しか湧いてこないような作りになっている。おそらくブレッソンの狙いもそこにあるのだろう。非常にペシミスティックである。

 ちなみに、ブレッソンはヌーヴェルヴァーグ以前から活動していた作家である。しかし、ゴダールらはブレッソンを崇拝しており、いみじくもヌーヴェルヴァーグの発進点である「カイエ・デュ・シネマ」の母体であるオブジェクティブ49にブレッソンは参加していた。この事を考えれば、決してヌーヴェルヴァーグの潮流と無縁というわけではないように思う。

 その証拠に本作のBGMの使い方は、いわゆるゴダール的というか、不自然にぶつ切りになっている。本作が製作された当時はすでにゴダールは「勝手にしやがれ」(1959仏)を発表していた時期である。だとすると、ブレッソンはこれに影響されたのではないかと想像するのだがどうだろう?
[ 2019/05/05 02:13 ] ジャンル人間ドラマ | TB(0) | CM(0)

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