この映画を見ている最中に、友人から”水野晴郎氏死去”のメールが入った。
「シベ超」完結することなく‥さぞかし無念であったでしょう。
ご冥福をお祈りします。
「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」(2007米)
ジャンル人間ドラマ
(あらすじ) 20世紀初頭。掘り当てた金を元手にダニエルは石油採掘に成功する。事故で孤児となったH.W.を養子にし、方々を渡り歩き”石油屋”としての名を轟かせていった。ある日、ふらりと訪ねてきた青年からリトル・ボストンの下に石油が眠っているという情報を仕入れる。彼の言うとおり広大な土地から次々と石油が出てきた。こうしてダニエルは巨万の富を得、町の権力者に上り詰めていく。しかし、そんな彼に反抗する人物がただ一人いた。それは町民達から厚い信頼を受ける青年牧師イーライである。対立を深めていく2人。神の怒りに触れたのであろうか。採掘現場で取り返しのつかない事故が起こってしまう‥。
DMM.comでレンタルするgoo映画

(レビュー) 石油王の悲劇を壮大なスケールで綴った大作。
監督はP・T・アンダーソーン。「ブギーナイツ」(1997米)「マグノリア」(1999米)で絢爛たる群像劇を描き、天才監督の名を欲しいままにしてきた俊英である。その監督が一転して、それまでのテクニカルな演出を封印し、骨太な演出を用いて一人の男の波乱に満ちた人生を撮り上げた。S・キューブリックを想起させるような映像面での完成度、何とも言えぬ不気味な音楽に、見応え聞き応えのある一本だ。
物語の基本構造を成しているのは、ダニエルとイーライの対立のドラマである。
ダニエルは傲慢で卑小な男だ。H.Wと弟との関係性からそれがよく分かる。彼は最後まで家族を持てなかった‥というよりも、愛に対する不信がそうさせなかった男なのだと思う。彼の人生における唯一の拠り所は仕事、名誉、富を生み出す石油だけである。実に冷めた思考だが、その反面彼の孤独感も見えてくる。
一方のイーライは愛を唱える伝道者である。
この二人は悪人と聖人という風に一見すると対照的に見える。しかし、映画を見ていくと、どうもそう簡単に割り切れない‥ということが分かってくる。そこが面白い。
ダニエルは経済価値を優先させ、実際に町の人々に一定の潤いを与えた。しかし、その為に彼は情を捨て悪魔に心を売ってしまう。ある意味で、ダニエルは神に戦いを挑んだ悪魔と言える。
これに対して、イーライは人間の内面的価値を優先させ、町の人々に自己実現の場を与えた。しかし、彼が開く集会はどこか胡散臭く、果たしてこれはマインドコントロールか?と言わんばかりの怪しさが漂っている。彼は神に仕える聖人を偽装しただけであって、その行動は神の意志を代弁するものではなかった。
結局、2人の違いは”何を後ろ盾にしているのか”ということだけであって、どちらも傲慢で狡猾なモンスターであることに違いはないのである。そして、そんな似た者同士の彼等が互いに毛嫌いし終始対立しっぱなし‥というところは実に興味深く見れる。
二人の争いの背景には宗教という絶対的な存在があるように思う。
キリスト教的観点からすれば、人間は生まれつきの罪人である。己が欲望を捨てきれず他者を蔑ろにしながら生きる存在で、だからこそ、そこに神の救いが必要になってくる。これがキリストの教えだ。この観点からすれば、人間であるダニエルとイーライは共に人間=罪人ということになる。そんな彼等が神と同等の、あるいは神を超えようとして対立を深めていくのはナンセンスであるし実にシニカルと言うほかない。
彼等の争いをどこまでも冷徹に描いた所は、いかにもP・T・アンダーソンらしい<ユーモア>に思えた。これまでの作品を見る限り、この監督はどこか達観したような俯瞰視点で物語を綴るようなところがある。今回はその視点が更に壮大で高度な所に達していることに驚かされた。人間の存在意義、宗教の価値といったものをここまで悠然と捉えた所に、俊英から巨匠への成長が感じ取れる。
ただ、難を言わせて貰うと、イーライが余りにも過剰に甲高い声を出すので時々ギャグに写ってしまう。それに引っ張られるかのように、ラストのダニエル・デイ=ルイスも少しギャグっぽく見えてしまったのが少し残念だった。これは演出ミスという感じがしてしまう。
ゼア・ウィル・ビー・ブラッド@映画生活